コンクール1週間前。本番会場の、名古屋文理大学文化フォーラム 大ホールにて練習。
ところどころ、昨晩の花集庵さんとの試演会で得たものを反映させながら、立ち位置、聴こえ方、ピアノとの調整に終始
次の日曜日8/7、コンクール県大会@名古屋文理大学文化フォーラム
大学・職場・一般部門『混声合唱の部』
シード2団体除く3団体中3番目、16:18-16:32(予定)に出演します。
[合同試演会] 2016.7.30 合唱団 花集庵と
ホールの記憶、正負ではなく、ホールの記憶。
名古屋文理大学文化フォーラム・・・ ある。
中川文化小劇場も・・ ある。
しらかわホールも・・ ある。
熱田文化小劇場・・・久々で・・・ない。
今宵、合唱団 花集庵さんと合同試演会。ホールの記憶とともに、VoxMEAが合唱「団」として記憶の1ページを増やし、刻むときが訪れました。
花集庵団長とVoxMEA代表によるエール交換
(お菓子ありがとうございました)
合同体操、合同ブレス
ゼスチャーで表せない「音楽」ってもんは難しい(。だからがんばりましょう)、と語る花集庵指揮者。
引き続き、VoxMEA指揮者による合同発声
コラボの相乗効果か、ホールの恩恵か、(自分で書くのもナンだが)ものすっごいいい音。筆者でも分かる倍音
おのおの練習。
「練習してきました、って音楽はやめよう」と声をかけるVoxMEA指揮者
ホールの対壁(たいへき)から自分の声を発する感覚。それは響くホールでもデッドなホールでも変わらない。
そしていよいよ合同試演会。
本番での演奏順に倣って花集庵から、課題曲、自由曲
基本的に発声ができており、聴かせどころが確実に押さえられている好演。
花集庵指揮者によるプチワークショップ
やっぱりお互いに指摘されたことは、主に自由曲の入り。
よく歌い込まれた課題曲のラストから、さらに高いテンションで始めたい。各指揮者が思うスキルを各団にフィードバック。しかもそれに団それぞれが大きく頷き合う。本番1週間前に。
これはもうある意味、事件ですね。
選曲は戦略だ、という今は昔の、やる曲を秘密裏に秘密裏にしてきたコンクール。時代が変わったとか追い付いたというよりは、時代を創った感じ。
新しい扉をこじ開けた両団。
じゃあ歌おっか、ってなり(予定通り)、
そして交流会へ流れ込む
「戦う前からノーサイドだ」と乾杯するVoxMEA代表
曲についてのフィードバックや、プレコンクールみたいなことができたことは収穫。でも、この合同試演会自体に関しては、客観性は抜きにしときたい。
従来、交わらない二本の線が交わった。。
同じ志向を持つ二つのコミュニティが間近でぶつけ合い、歓びを分かち合った。。
それでええじゃないか。
2016.7.23
本練前、テノールはVoxMEAヴォイストレーナー三輪陽子先生によるパートヴォイトレ
「お腹のことが抜けてしまうときそれは、言葉,背景,深さが抜け落ちているとき」
思い起こさせていただく点があり、また、
適切な表現に肉薄するための様々な歌唱の提示があり。
同じことを言いたくない以上に、同じことは言われてはいかんなと。レベルアップというか対応力の底上げを図っていきたいです。三輪先生はあまりにも大きな存在であります。
さて、大暑を迎えた女性会館。コンクール本番である2週間後は、暦の上ではもう立秋。暑いが速い。
Kodaly
「聴いている側の喉が苦しくなる声は要らない」、つまり「自由に流れている息がほしい」と指揮者。
指摘され改善を要するときや、歌を歌う歓びを感じるときの、自分の中の、それらを感じ取る世界をもっともっと大きくしたいです。
歌における感情の起伏の積み重ねが、意欲だったり活力だったりにつながっていくのだと思います。
また、心の叫びや深い悲しみ、時代のロマン、かつナレーションするときはナレーションする等、誰でもない自分が喋る言葉として成立するように、しっかりと準備をしたいです。歌い手側が通り過ぎてしまっていては、聴く側にも届かず、ステージ体が成り立たないと思います。
コンクールを最良の媒介としたいです。
次週、某団さんと試演会
2016.7.17 夏合宿最終日
2016.7.16 夏合宿初日
従来通り、布団の説明会で幕開け。
岡崎市美合の、愛知県青年の家で合宿を行いました
コンクール強化も含めて、演奏会の曲をカバーする(思い出す)機会としたいです。
いきなりですが、新入団、男声1名。先週初見学で合宿フル参加!その重低音の磨かれた未来に期待大。
ネウマ譜
母音について、個人的に新しい発見がありました。
母音の特性をそれぞれ強調するのではなく(それはそれで行い、究極的に以下のようになればいいのだけれど)、最終的にはどんな母音でも同じ響きであることを目指そう。歌がきれいに歌えるし、アンサンブルの向上につながるのだと。
そのまま、Niels La Courの宗教曲、そして、Michael McGlynnの宗教的な曲
移調ゲームアプリでトレーニングを開始した先ほどの新入団員も早速、リアル移動ドの洗礼を受ける。
その移動ドでサウンドを身体に馴染ませてからの歌詞入れするという、アンサンブル譜読みのスタイル、すっかり定着したなー。団の成長を感じる瞬間。でも歌詞まだ喋れない、みたいな。
休憩挟んで、Busto。難曲で難局。
続いて、afroamerikanisches Spiritual
演奏会3stの音源ばかり聴いて臨んだ合宿だったが、ガツンと打ちのめされる感覚。ここからはじまる。
17:20から夕食。いつもなら練習始まる前…
みんなでうれしそうに「いただきま~す」
初日夜の部。ソプラノ円陣
嫌になるぐらいに Kodaly。
あいまいな母音というものは存在しない。決められたルールで正しく発音。
写真は円になって、どのパラグラフからでも歌えるように。
どうせ暗譜するなら、作詞者・作曲者の祈りを演じきるところまで行きたい
と語りかける指揮者
初日最後は演奏会1st全曲通しでシメる
指揮者も選曲を自賛していましたが、ひっそりと僕も良い構成だなと思っていました。
明日も長丁場ですが、がんばりまーす
2016.7.9
小暑。中川文化小劇場ホール練習。12/25はここで演奏会やります
発声。ホールのどこか目に見えるもの(非常口くんとか、なんらかのランプ等)を自分の口と仮設定し、その部位が声を出す感じで。
Kodaly
言葉の意味、音楽の意味をより深く掘り下げたい。
歌っている箇所のシチュエーションにもよりますが、
「声質は軽く、音楽は重く」
Kodalyの世界観を歌う上で、この助言は助けになる事柄が多い。
鈴木憲夫。
グルーヴ感。
この曲を経て、合唱団は成長したい。限界に挑戦セヨ、とは指揮者談。
この日なにかの曲の冒頭、指揮者の振る予備拍のブレスで団がひとつになった(と個人的に僕が感じた)瞬間がありました。ハッとしました。タマラナイですね。
次週は岡崎で夏合宿。
新入団、女声1名。
MEAでなにかを見つけてもらうのではなく、引き続き、MEAが見つけなければいけないものがある。
2016.7.2
湿度に追い付かれ、7月冒頭で暑さ本格化の女性会館。
発声。息、声、息、声、、アスファルトを舗装するように。あれっ、変わり目 気付かなかった、みたいな感じで。しかも平面ではなく、少し隆起する感覚。
Kodaly。どの箇所で自分の歌が破綻するかを自分で観察。声の、まさに出し始めと切り際に細心の注意を払う
意識して頑張る合唱から、ありのままの自分でいられる合唱へ。
つながり挟んで鈴木憲夫
大勢のなかで単に声を出す歓び。
上手く聴こえるようにとの功名心からの歓び。
それらの次の段階に行かなければなりません。
それは教えてもらったっていい、自分で気付いてももちろんいい。
自分の真正面でモロ感じられる歓びを。
新入団、女声1名。
MEAでなにかを見つけてもらうのではなく、MEAが見つけなければいけないものがある
2016.6.25
夏至ら辺は梅雨なんだと思い知らされたぐずついた1週間。
演奏会ジャスト半年前の女性会館。
発声時に軟口蓋と喉仏とお腹の連動の確認をしてからの「つながり」
指揮者と指揮者補佐のカリキュラムの違いを楽しみ、自分を団を補完しながら鈴木憲夫、そしてKodaly。
ことポリフォニーではまず各パートでの曲としての成立が要求されている、と1パートずつ晒され言い合う。
晒され指摘され、個がパートが確立していく感覚。そして団として。
↓(2016.6.19 発声講座受講)した団員から
例えばパート体で、まず私がちゃんと歌おう、を捨てろと、身体が固まる大きな要因のひとつなんだと教わり、その点を気を付けて練習に臨みました。
音楽上やアンサンブル上でやらなくてはならないことはやる。自分自身、それ以外でどうやら精神面がネックになっていることが多いのかなと。従業員でも拘束されているわけでもないので、義務感とかメンバー的に、とかいうことをかなぐり捨てたいです。それを思ってどうするの?って。
自分を信じること。仲間を信じること。
それが混声合唱団ですもの。
(2016.6.19 発声講座受講)
◆レポートM
しとしとと雨の降る京都。
パナムジカ主催、川井弘子先生の発声講座、合唱人のための「うまく歌える『からだ』のつかいかた」を、MEAより二名受講。
講座は同名の著書を元にしたもの。著書内では、合唱の伝統的な感覚表現を、解剖学の視点から紐解く試みがなされています。
(「あごの力をぬく」・「声を集める、前に飛ばす」・「のどを使わないで」
…などなど)
講座では、受講生5名をモデルにして、声の悩みを聞き、実際に歌ってみながら、その場でご指導。
MEAからも、モデル受講生として1名参加!
※写真掲載パナムジカ承諾済み
指導を受けた全員に共通していた感想は、「え、こんなんでいいんですか?」でした。
先生がされたのは、「歌おう」としすぎる意識や、「ここができていないから直そう」とする意識を、薄めること。
指導を受ける前と受けた後では、外から聴いていると明らかに音の響きが違う!
…けれども、歌っている本人としては、普段より力をぬいて歌っている「頑張っていない」状態のため、うまくいっているという自覚がないようです。。。
「『何をするか/何をしなければいけないか』ではなく、『何をしないか/何をするのをやめるか』、を考えよう。」
指示や指摘、或いは自分が感じている問題点を解決しよう!ということに意識が集中しすぎると…逆にそこが原因で力が入り、全体を崩してしまう…。
ひとつのことを、やりすぎていないか?
一方向に真面目に向かう中にも、個々人、自分の身体と照らし合わせて、振り返ることも必要なのかもしれません。
自分の声は、人に聴いてもらうしかわからない。
自分の意識や感覚は、自分にしかわからない。
有意義な気付きを沢山いただけたセミナーでした。気付きを基に、早く歌いたい!