2025/8/3県大会 & 8/10通常練習

県大会が終わって1週間以上が経過。その間に練習も1回やってて、反省会のまとめも行いまして、ようやく筆者はこのブログの場にたどり着きました。

アンコンアンコン言うのは既に、というか最初からご法度なのですが、金賞を受賞したアンコンでの良い流れをより強く太いものにしていく手法を意識して挑んでいった愛知県大会でしたが、

室内の部、2団体出場の2位銀賞

という結果でした。

自分たちは自分たちのプロセスしか知らないし、踏めない。

要するに、…足りなかったということです。

という県大会での結果関係なく我々は、

来年2026年、
年明けの1/25㈰に
南文化小劇場にて
第11回の演奏会

を開きます。それに向かって歩みを進めていくしかありません。

県大会反省会で出た主な点は、良いプロセスに転じさせる大きな要素を含んでいます。
って言ってる時点で、含めて我々のプロセスなんです。
途上なんです。
スピード感,効率的,徹底的,確信的…
多岐にわたるポイントを有機的にこなしていく必要があります。

筆者は殊の外、思い込みが強く、ほんとにというか普通に中部へコマを進められるものだと思ってやっていたものですから、現実を受け入れ難き状況が続き、このブログもダラダラと御託を並べてしまっていますが、大会当日、表彰式から打ち上げに戻った時の団員の様子や反省会での建設的な意見。

未来は確実に担保されているのです。

反省会ではVoxMEAは、何を目指しているのか、と問われました。

「声を一段階、成長させる」
というスローガンで今年は取り組んでいます。
なぜ声を、一段階成長させなければならないのか?

曲を表現するためです。

その曲の要求するレベルで表現するため。でもいいし、
その曲をより高いレベルで表現するため。でもいい。

なぜ、求められる高いレベルで表現する必要性があるのか?

合唱という活動が、
誤解を恐れずに言いますが、
何の知識がなくても誰でもその場でできるという前提があるから、こそです。

歌うことが好きだから。が転じて大勢で歌うのが好きだから。
伴ってルールが必要になってくる。
(ルール大事)

四声で聴きつ織りなし積み重ねて、合唱団というチームで、高いレベルで音楽を表現する
ことを
VoxMEAは目指している。
と筆者であり、合唱団の代表でもある自分は思っています。

じゃあ大会っていう競う場、順位が付く場ではどうかって言うと、
上述のチャレンジが第三者的に評価されてもいいのではないか、
むしろ、強気に言いますが、評価されるべきではないかと思って、ワーワー言いながらやっていました。

我々は上記の演奏会のワンステージで、室内の部1位を獲られた藤森徹先生に客演で振っていただきます。
盗み、吸収していかねばと思っています。

というMEA、今週はお盆休みです。

2025/8/2 県大会いよいよ

イーブル名古屋で最終調整。
8/3㈰事実上の本日、コンクール愛知県大会、室内の部に出場です。

事前に言うのも+手前味噌でナンですが、VoxMEAにしては珍しく、やれないことが多くあって「もう」コンクールー(汗)!っていうよりは、やっとコンクールだよっ、て手応えはあります。
ピアノ練習していたことからも選曲の妙はありますし、
(くどい→)地産地唱に出なかった理由、証明してみせますよ。

次週8/9㈯も、イーブル大研修室で17時半〜練習やります。

2025/7/26 来週日曜日県大会

来週日曜日の県大会まで続く酷暑ストーリー。

「声を一段階、成長させる」
これを我々の合唱団の今年のテーマとして掲げ、挫折と成功のプロセスを踏んでいる。
自分たちのやってること、つまり音楽、にどれだけ確信を持ってやれるか、ではなく、

確信を持ってやるだけ。

そこの評価。

連れてパートミーティングも活況になってきている。

ピアニスト山内先生も物申して来られて良い兆候。

私を連れてってください。
私が連れて行きますから。

とみんなには言いたい。
簡単に言うと、
依存ではなく漢字で書くと「委存」って感じ。委ねる的な、のと、自立が同居している。

酸いも甘いもしゃぶり尽くし、きれてはないので、この3曲でこの仲間と長い夏にしたいです。

2025/7/19

青空が濃い。と書こうとして一応調べたら、夏が濃いイメージがあったが、一概にそういう訳でもなく、無知マンが述べられることでもなさそう。
でも空と雲の対比は、夏の方が明瞭である。
先週の稲沢「中」ホール練習を第一次完成日と位置付け、合唱団にも発破をかけてきたが、出来が悪かった(出られなかった。暗譜してなかった。入り,タイミングを覚えていなかった)ため筆者はモロ敗戦感しかなくて、いよいよ先週のブログでは何も言葉を書き出すことができませんでした。
荒野で瓦礫を拾い集めながら復活への序章。自主トレを積んで力を貯めて、楽しみに、そして行き勇んで新栄へ突撃。東生涯学習センター。

課題曲。
先週までの自分とは違うぞ。
見ていろ!世の中よ。
1週間、己で構築した下支えと、
指揮者の要求をどんどん織り込んでいく。
自分たちはやれてる。

やれるぞ。

勝算もある。

確かな手応えがある。

自由曲。は、
「フレーズの頭の母音を明確に。
小さな音で大きな感動を」と、
合唱団の評価を効率よく高めるための指示を出す指揮者。

働き方改革の光と影(以下、個人的に言いたいだけ)とでも申しましょうか、その残さから捻出されてしまう黒炭のようなものを、自分の毎週土曜日のゴールデンタイムに精錬し、磨き、ダイヤモンドを光り輝いても光り輝いても尚、研ぎ続ける作業。鋼塚さんみたく。
(本来、黒炭は土釜で炭化させた木炭とのことなので、ね、ここはイメージイメージ)

もう一度言いますが言わば地区大会で1回負けて、敗者復活で出させてもらう気持ちで筆者は県大会に乗ります。この3曲で負けを知る者の強みを生かしたい。
「声を一段階、成長させ」た団の姿をお見せする。
大きな声で言えないのでここでひっそりと言うが、
進出するのは我々だ。

次回はイーブル名古屋。ピアノ合わせ。一変した声で揺さぶる。

2025/7/5

セミの音を確かに聞いたと思ったが、鳴き続けてはいなかったので今では幻に感じている。新栄の東生涯学習センター。

前々回の音楽プラザ合奏場が広く、ホールを想起させる場所であり、各自の気付きがあった。
筆者はハコどうこうはあまり思い過ぎないようにしており、三輪先生が仰る空間芸術の域は言うは易し行うは難しで、都度置かれた場所,練習でベストを更新していく
「試技」(重量挙げや跳躍競技・投てき競技などで、一定回数許される演技の一回ごとの演技)
のように感じている。
結果、演奏会など、今回は県大会の会場、
名古屋文理大学文化フォーラムでベストパフォーマンスを出す、
というより、
名古屋文理大学文化フォーラムでもベストパフォーマンスを出す。
ということである。
コンクールがコンクールがと言ってるからいつも筆者は過呼吸になってしまうし、ハコを言い訳にしがち陥りがちだからです。

部分部分の練習を積んで、最後に自由曲2曲を通す。

「やっとスタートラインに立てた感じ」と指揮者のコメントで締めくくり。
次週は名古屋文理大学文化フォーラムの「中」ホールで練習敢行。

2025/6/28

自分的には梅雨明け。東別院。イーブル名古屋。
発声。。結実へのルーティン。
団が正しいと思う、
・発声の高さ
・発語のタイミングの正当性
正解力の、
力強さ。というか、説得力。
というか。

話を勝手にそらしますが、
よく会話で、「何が正解か分かりませんが」とか言ったりしちゃいますよね。
より、正解を見つけにくい芸術、
こと、この音楽においての正解は、
「美しさ」ではあるまいか。
煉獄じゃないけど、儚いものであるから美しくなければならない。
美しさとは、理想。
理想、、とは、現実離れしているものであるから、現実を見せてはいけない我々、演奏者は冷静な没入が必要である。
そこから生まれ得るものを、結実の日に出し切りたい。

話を戻す。サークルオブライフをまあまあマーマー歌って、
自由曲2曲。

冒頭、指揮者の指令。
「レガートで」

一点のお願いと言いながら、実際の要求は、
レガートにプラス、
・次のフレーズに落ちて入らないように。
・子音の先出し
さらに、練習を振り返ると、フレーズ終わりのきれいな着地、と言えるか。

次のフレーズを高い出出しで歌い継いでいくこと。
それもレガートの一環だと言えるのではないだろうか。

できてる人を増やす練習というよりは、
みんなで、パートとして「できる」ための練習。

ここ、しっかりぶつかり感じてから次の音へ。
この一音だけDur.になるからそれ感じてから次の音へ。
って言ったって、身も蓋もないけど言ってしまえば一瞬。
でもその一瞬一瞬、開けていく世界を知っていなければ、知った上で歌わなければ、美しい世界の提示は覚束ない。

忘れてる箇所もあった。
一方、休憩時間に各パートでの円陣もあった。

細かく刻むところは一音ずつでも刻み、あぁ小さくまとまってきちゃったなって思ったら、真逆にのびのびと。
悩んだ分だけ、その分だけ、ボクたちは自由になれる。

次回は新栄。東生涯学習センター。

2025/6/21

浜松での日帰り出張を終えて、あー間に合った、金山の音楽プラザへ。ほど近く熱田での地産地唱を裏で感じながら。

結実へのルーティンの後は、Circle
of Lifeの後半の音取りをしてから、コンクール曲。これのために上述のに出ない選択をしたんです。

今更ながらですが、「一度 – 五度 – 三度」と言うけれど、自分ひとりでも、自分のパートだけでもできないことなんだな、ってコンクール曲で強く思ってしまった。今更ながらね。と同時にその感動を明けて翌日、このように伝えるとなんて陳腐なことよ。

奇跡が日常にあるという奇跡も感じてしまった。
精度を高める、と言うが(って、自分も今後使う時があるだろうが)、その低い前提を嫌いたい。
奇跡の再現性。
ってことが言いたいんです。
90%とか95%とかじゃなく、やれる時は100%しかないってこと。

難所がこれだけ歌えればオッケー。
我々に足りないのは自信ですよ。根拠のある自信。

言い続けてやりますよ。表彰式の壇上でその結果を聞くまでは。強気で、穫る気で。恥ずかしくないですよ。言い続けた者にしか結果は出ない。今年は言わせてくださいよ。それぐらいじゃないと勝てない。いや、それでも足りんのかもしれんし。

最後はピアノ共演山内敦子先生演奏のもと、団員のHBDsing。おめでとー。

次週はイーブル名古屋でーす。

2025/6/14

雨の週末。東別院へ。イーブル名古屋。
今回は人が少なくて、力を貯める雌伏の練習でした。

「お腹とか背中とか、自分で使っている身体の部位をしっかり意識した上での、一段階の成長、としてほしい」
指揮者の引き締めが入る。
新譜 Circle of Lifeの前半をやって、コンクール曲。
1曲に絞ってやりました。

途中、「コンクールを目指す合唱団の音じゃない」
指揮者の高潔なダメ出し。
頭数が少ないからこそ、いや頭数が少なくても取り組めた緻密な練習であった。

筆者のパートは参加者2名で互いにとって厳しい練習であったなーと書いてるのが現在、翌日曜日の午後、ここまででなかなか筆が進まず、ではと狙っていた「いりなか」の南山教会へ。
花集庵とEnsemble Spicyの2団体が聴けるという超お得なイベント。
画像を貼ってもいいのか分からないので貼らないが、
「ニケア公会議1700年記念演奏会」
科学的根拠も証拠もあるかどうか定かではない(いや、定かなのかもしれない)が、キリスト教における言葉の数々が千年も二千年も残っているっていうことの表れです。

いっしょに歌ったことある人がいた。
見たことある人がいた。
途中や終了後に言葉を。交わしたりもした。
なんせ輝いてた。
ただ眩しかった。
隣の芝生がただ青いだけなのか。
敵だった。
大きく見れば仲間だった。
彼らに勝てるのか。
彼女らより高く歌えるのか。
我々がコンクールに出るのは、室内部門。
ひとりひとりの声がダイレクトに届いてしまう。
丸腰で戦場に放り出されるようなものだ。
他団を聴くのはとっても良いことで。
気付けば個ではなく、アンサンブルとして聴いていた。
個の輝きを、アンサンブルというガラスのショーケースに美しく飾りたい。
その努力を行う。
そう言えば、先週日曜日の合唱祭はアッという間でしたが、楽しく歌ってきました。

2025/6/7

愛知県合唱連盟理事の筆者は、愛知県合唱祭初日の中ホール舞台係の仕事を早目にあがらせていただき、東別院へ。イーブル名古屋。

明日の合唱祭で歌う曲。2曲。

自分の声がスケルトン製のパイプ状になっていて、その中をブレスが放たれていく感じ。
その実感を自分が持つことが大事で、
パイプを伸ばし続ける進行。
そこにブレスを流していく進行。
入れ物と中身を同時進行で産み出していく。

「熱い思いを響きに昇華させて」

と合唱団に語りかける指揮者

(対症療法ならぬ)対曲療法、
をしてくんじゃなくって、自分の声を一段階成長させることによって楽しい合唱ライフを送っていこうっていう算段。
つまりコンクール楽しみだなーって。

簡単に言うと、混声合唱団VoxMEAは、
6/8㈰13:22前後に、6分半だけ名古屋文理大学文化フォーラム大ホールの舞台上に姿を現します。