2025/6/28

自分的には梅雨明け。東別院。イーブル名古屋。
発声。。結実へのルーティン。
団が正しいと思う、
・発声の高さ
・発語のタイミングの正当性
正解力の、
力強さ。というか、説得力。
というか。

話を勝手にそらしますが、
よく会話で、「何が正解か分かりませんが」とか言ったりしちゃいますよね。
より、正解を見つけにくい芸術、
こと、この音楽においての正解は、
「美しさ」ではあるまいか。
煉獄じゃないけど、儚いものであるから美しくなければならない。
美しさとは、理想。
理想、、とは、現実離れしているものであるから、現実を見せてはいけない我々、演奏者は冷静な没入が必要である。
そこから生まれ得るものを、結実の日に出し切りたい。

話を戻す。サークルオブライフをまあまあマーマー歌って、
自由曲2曲。

冒頭、指揮者の指令。
「レガートで」

一点のお願いと言いながら、実際の要求は、
レガートにプラス、
・次のフレーズに落ちて入らないように。
・子音の先出し
さらに、練習を振り返ると、フレーズ終わりのきれいな着地、と言えるか。

次のフレーズを高い出出しで歌い継いでいくこと。
それもレガートの一環だと言えるのではないだろうか。

できてる人を増やす練習というよりは、
みんなで、パートとして「できる」ための練習。

ここ、しっかりぶつかり感じてから次の音へ。
この一音だけDur.になるからそれ感じてから次の音へ。
って言ったって、身も蓋もないけど言ってしまえば一瞬。
でもその一瞬一瞬、開けていく世界を知っていなければ、知った上で歌わなければ、美しい世界の提示は覚束ない。

忘れてる箇所もあった。
一方、休憩時間に各パートでの円陣もあった。

細かく刻むところは一音ずつでも刻み、あぁ小さくまとまってきちゃったなって思ったら、真逆にのびのびと。
悩んだ分だけ、その分だけ、ボクたちは自由になれる。

次回は新栄。東生涯学習センター。

2025/6/21

浜松での日帰り出張を終えて、あー間に合った、金山の音楽プラザへ。ほど近く熱田での地産地唱を裏で感じながら。

結実へのルーティンの後は、Circle
of Lifeの後半の音取りをしてから、コンクール曲。これのために上述のに出ない選択をしたんです。

今更ながらですが、「一度 – 五度 – 三度」と言うけれど、自分ひとりでも、自分のパートだけでもできないことなんだな、ってコンクール曲で強く思ってしまった。今更ながらね。と同時にその感動を明けて翌日、このように伝えるとなんて陳腐なことよ。

奇跡が日常にあるという奇跡も感じてしまった。
精度を高める、と言うが(って、自分も今後使う時があるだろうが)、その低い前提を嫌いたい。
奇跡の再現性。
ってことが言いたいんです。
90%とか95%とかじゃなく、やれる時は100%しかないってこと。

難所がこれだけ歌えればオッケー。
我々に足りないのは自信ですよ。根拠のある自信。

言い続けてやりますよ。表彰式の壇上でその結果を聞くまでは。強気で、穫る気で。恥ずかしくないですよ。言い続けた者にしか結果は出ない。今年は言わせてくださいよ。それぐらいじゃないと勝てない。いや、それでも足りんのかもしれんし。

最後はピアノ共演山内敦子先生演奏のもと、団員のHBDsing。おめでとー。

次週はイーブル名古屋でーす。

2025/6/14

雨の週末。東別院へ。イーブル名古屋。
今回は人が少なくて、力を貯める雌伏の練習でした。

「お腹とか背中とか、自分で使っている身体の部位をしっかり意識した上での、一段階の成長、としてほしい」
指揮者の引き締めが入る。
新譜 Circle of Lifeの前半をやって、コンクール曲。
1曲に絞ってやりました。

途中、「コンクールを目指す合唱団の音じゃない」
指揮者の高潔なダメ出し。
頭数が少ないからこそ、いや頭数が少なくても取り組めた緻密な練習であった。

筆者のパートは参加者2名で互いにとって厳しい練習であったなーと書いてるのが現在、翌日曜日の午後、ここまででなかなか筆が進まず、ではと狙っていた「いりなか」の南山教会へ。
花集庵とEnsemble Spicyの2団体が聴けるという超お得なイベント。
画像を貼ってもいいのか分からないので貼らないが、
「ニケア公会議1700年記念演奏会」
科学的根拠も証拠もあるかどうか定かではない(いや、定かなのかもしれない)が、キリスト教における言葉の数々が千年も二千年も残っているっていうことの表れです。

いっしょに歌ったことある人がいた。
見たことある人がいた。
途中や終了後に言葉を。交わしたりもした。
なんせ輝いてた。
ただ眩しかった。
隣の芝生がただ青いだけなのか。
敵だった。
大きく見れば仲間だった。
彼らに勝てるのか。
彼女らより高く歌えるのか。
我々がコンクールに出るのは、室内部門。
ひとりひとりの声がダイレクトに届いてしまう。
丸腰で戦場に放り出されるようなものだ。
他団を聴くのはとっても良いことで。
気付けば個ではなく、アンサンブルとして聴いていた。
個の輝きを、アンサンブルというガラスのショーケースに美しく飾りたい。
その努力を行う。
そう言えば、先週日曜日の合唱祭はアッという間でしたが、楽しく歌ってきました。

2025/6/7

愛知県合唱連盟理事の筆者は、愛知県合唱祭初日の中ホール舞台係の仕事を早目にあがらせていただき、東別院へ。イーブル名古屋。

明日の合唱祭で歌う曲。2曲。

自分の声がスケルトン製のパイプ状になっていて、その中をブレスが放たれていく感じ。
その実感を自分が持つことが大事で、
パイプを伸ばし続ける進行。
そこにブレスを流していく進行。
入れ物と中身を同時進行で産み出していく。

「熱い思いを響きに昇華させて」

と合唱団に語りかける指揮者

(対症療法ならぬ)対曲療法、
をしてくんじゃなくって、自分の声を一段階成長させることによって楽しい合唱ライフを送っていこうっていう算段。
つまりコンクール楽しみだなーって。

簡単に言うと、混声合唱団VoxMEAは、
6/8㈰13:22前後に、6分半だけ名古屋文理大学文化フォーラム大ホールの舞台上に姿を現します。

2025/5/31

新栄の、東生涯学習センター。
手始めに、三輪先生ボイトレ。

前回が左右両アウトサイドを感じる発声であったなら今回は、前後(高さと奥行き)を開放していく発声。
先生の指差す方に答えがある気がした。

女声ボイトレ。まずはアルト。
取り残されたソプラノと男声は裏でコンクール曲と、合唱祭曲。

そうそう、6/8㈰名古屋文理大学文化フォーラム大ホール
Fブロックの13:22に登場する合唱祭への取り組みもしてきました。

愛知県合唱祭とは、

幸せを掴むための苦行なら、筆者はいくらでも喜んで引き受ける。

※写真はベースパーリー

続いてソプラノの女声ボイトレ。
入れ替わりのアルトと、男声は引き続き3パート練習。

練習前にスタッフ会で未来の話をしました。
まんじりとして動かなかった大きな岩をようやく動かせた。未来が解放されました。
今日の苦悩が未来に救われるっていう。描ける喜び。自分でも楽しみですね。

そうそう、DIGITALコーラス愛知、見ました?

上西一郎先生の合唱クリニックや、
それを経て快挙を成し遂げたアンコンが特集されてます。

次回は合唱祭登場前日6/7㈯いつも通り、17:30から練習開始。イーブル名古屋で会おうではないか。

2025/5/24

本練前の午後、名古屋市の施設で歌ってきました。
昨秋に続き2度目の慰問演奏。
・上を向いて歩こう
・見上げてごらん夜の星を
・おぼろ月夜
・りんごの唄
・東京ブギウギ
・ハッピーバースデー
・四季の歌
・ふるさと
・線路は続くよどこまでも
先週までの練習の、合間合間に歌ってたのはこれなんです。写真はありませんが、大きな声でいっしょに歌うことができました。

そして本練は黒川、北生涯学習センター。

まずはブレスからの発声。ここにきて、
ボイストレーナー三輪陽子先生
指揮者
団員
三位一体の、声に対する姿勢と、実際に出される合唱団の声が、一本、筋の通ったものになってきました。


そして今日は、山内敦子先生との初顔ピアノ合わせ。
演奏会までお付き合いしていただきます。

「寂庵の祈り」

アンコンで演奏した曲ですが、そっと寄り添うように入ってきて、合唱団と美しくもつれ合いながら一気にgrandiosoへ。
ソロリサイタル開くレベルの先生が「伴奏」に徹する時の神々しさったら。我々、合唱団内で声出す者同士がアンサンブルアンサンブル言ってやってるのとは訳が違いますね。

今日は慰問演奏から全てが一瞬でした。
平日に元気をなくしていたので、歌に、仲間に元気をもらいましたー!

来週は新栄の東生涯センターで三輪先生練習。

2025/5/17

雨も上がり、浜松での日帰り出張を終えた筆者はいそいそとバイクで錦通りへ、新栄、練習5分前着、東生涯学習センター。
本日は三輪先生ボイトレの日。
どストレートに「あ〜い〜う〜え〜お〜」発声で、「レガートができなくて」という意見にご対応。
しようとしてできる代物ではないし、なかなか実感できるものでもないんですよね、レガートってやつは。
筆者は歌う際、どうしても手が前にでちゃうんですがその、前や上に突き出す手の、ひらを外側に向ける。ただそれだけで、日ごろ使ってない身体の部位が締まってくるというか、。
テノール練習では、音を出して息を吸うレッスン。
どうしてもできない筆者。
使えてないし、過吸気してるんですね。

とにかく肝としては、高い位置で声を出そうという指導が、昨今の団の取り組みと極上のマリアージュを発揮。

畏れながら申し上げます。
団の声が変わり始めています。

Mickey Mouse Marchも少々。

最後に今月誕生日たちにHBDsingして大団円。

次週は黒川、北生涯学習センターにてピアノ合わせ。
三輪メソッドの再現性を見せてやる。

2025/5/10

東別院のイーブル名古屋。
発声でスタートできると、やはりその夜は調子が良い。
上西メソッドのひとつを思い出してみる。
「浮力と写し鏡で水面を押す力を感じ、下半身で歌う」
水面を滑っていく、筆者はジェットスキーをイメージ。
浮力とは、。
ブログをしたためつつ調べる。
液体に浸かる物体には、物体が押し出した液体の重量に等しい浮力が働く、というアルキメデス法則をネットで見つける。理論的にも合ってる。
そもそもイメージの部分が大きいし、実際に曲を歌っているときに実践できているかどうか、というモヤモヤが常に付きまとう。
でもいろいろ考えながら、少しでも歌が上手くなりたい。
で、曲に入る。

上を向いて歩こう
見上げてごらん夜の星を
おぼろ月夜
りんごの唄
四季の歌
ふるさと

どう声を出していけばよいか、引き続き、いろいろ考えながら歌っ、てしまう。
しかし、そういう意識が、聴こえていく音楽にどこまで反映されるんだろう。ここでまた考えてしまう。とにかく、
これらを歌う機会についてはまた報告できると思います。
続いて、コンクール曲に取りかかる。

「声を一段階、成長させる」
これは当団の今年の共通目標である。

5/6(火祝)にアンコンがあった。

一般の部で金賞。狙いに行った賞を獲った。
よかったよかった。

じゃあ次なる問い。
声が一段階成長したから金賞が獲れたのか?
その手応えがないんですよね。ないから考えたい。考えて答えに、そして言葉にしなければならない。

当初(今年年明け)の
自分のイメージでは、団員とは違う次元で頭ひとつ抜けた歌声を獲得し、みんなを引っ張っていく。そんなある意味、気概みたいなものはあった。
その気概の、分量だけは良し。損ないたくない。
でも今(GW明けたぐらい)、
まず思うのは、声で引っ張っていく、ってのはおそらく間違いであり幻想で、そうなったとして混声合唱団という構造上、パートの声を殺してしまうこととほぼ同義、だと言ってよいであろう。

三輪先生のボイトレでの、チームの「ここがおすすめポイント」を見つけておくとよい。という言葉を反芻する。恥ずかしながら、現時点で言葉にすれば、
「意識してアンサンブルをしようとしている点」
って筆者は言ってしまいそう。
上手ければ無意識にできてしまうところを、上手くないので意識してやってます、ってスタイル。
声をアンサンブル仕様にすること。
それも成長のひとつだと思う。

「明るい声を出すこと」
今日現在での、声の一段階の成長、と位置付けたいと思っている。
何故、明るい声が必要か?となにかのインタビューで問われた際の答えを持っているべきで、筆者は、
「曲の表現を、より正しく行うために必要だから」
という答えを持って、そして動いている。

先週は、
次の高い音に行く、首の後ろから頭頂までの準備動線を金輪際、「翼を広げる」と呼ぶこととした。
それが1週間前は一番大事だと思った。それはそれでよいし、実際そう思って今週も歌ってた。そのことを蓄積と言っちゃってよくって、
今週は、
明るい声を出せることは成長のひとつとみなしてよい。
という境地にたどり着いた。
それもまた良し。ということです。

最後にMickey Mouse Marchを、団員伴奏付きで。
この曲は時間がかかる。時間がかかる分だけ、「耳スキル」を高めなければならないし、「苦労対効果」という果実も得なければならない。うーむ、勢いで言葉にしたはいいが、あまりにも重たくなってしまった。。
簡単に言うと、1回、あー歌ったー、って感覚持ちたいです。

次週は新栄、東生涯学習センターです。

2025/5/3

X見てますとね、他団では新入団新入団新入団。いやー、うらやましい限りです。
なかなかままならない中、隣の芝生が青いならば、他団から見れば我々が今度は「隣」となり得る。と
見方を変えればオッケー。平気平気ですー。
世はGW。伏見と栄のほぼ中間、短歌会館。

Mickey Mouse March

何回かやってきてずーっと後ろ向きチックなことを書いてきちゃいましたが、今日ブレイクスルーしましたね、って思ってるのは自分だけでしょうか。やっと良さを感ずることができました。

コンクール曲

実は筆者、本日決めたことがあるんです。聞いてもらえます?

次の高い音に行く、首の後ろから頭頂までの準備動線を金輪際、「翼を広げる」と呼ぶこととします。

歌ってると自由になれるんですよ。全部やらないと飛べませんし、曲による部分もあるんですが。
でも今日はなりきりはできなかった。しかしその、自由に歌うためのルールを指揮者が交通整理した。もうこんなこと書いてるだけで、翼を与えられたような気になっています。
どこにでも行ける。ような気がしてる。みんなで飛んでいきたい。

最後に「リンゴの唄」と「ふるさと」を少々。

次回練習5/10㈯は、イーブル名古屋です。

take me higher

2025/4/26

輝く季節。
バイクでイーブル名古屋。

コンクール曲。

今やっている事。
レガート、
っていう生涯テーマが頭をよぎる。
フレーズ,メロディー,言葉…
枚挙に暇なく山積し続ける命題。
母音の凹凸に左右されない言葉を、更に言えば言葉の中身を
口内バトンパスしていくこと。
それを感じさせてくれる曲、
と言うべきなのか、
自分がその段階まで来れてるのか、

次の曲でそれを確認しようと思っていたが、
自分があまりにも、曲の高潔さを表現できなかった。
目の前を歓喜が通り過ぎていく。
団としてはたいへん良い音が鳴っている。
ちゃんと聴けて歌えている。
それは分かった。
歯がゆかった。
その歓喜を取り込むことができないまま、
「Mickey Mouse March」
歌詞を付けてついに現した、その正体を感じながらラストに、
「見上げてごらん夜の星を」

翌日日曜日。
同じイーブル名古屋でアンコン練習。
例年ぶつかるまでもなかなかいかない壁にこの時点でぶつかる。
良い兆候。
アンサンブルの妙が襲いかかる。
細かく自分らで埋め込んだ、様々な to do 課題。
歌いきる気概でそれらをクリアし続けていったつもりでも、歌唱後、
曲の流れや、本来あるべき演奏像がどこかに行ってしまっていた。

「合成の誤謬」

個々の問題を解決していっても、全体で見るとおかしな結果を招いてしまうこと。

アンサンブルをアンサンブルを、と言い続けている。
行き着くところ、

アンサンブルを行うにあたっては、壁というものは常に立ちはだかり続けるものなのである。
そうでなくてはアンサンブルをやっていることにはならない。

細かいチェック事項をさんざん課しつつ、歌う自由を獲得することである。
この、現時点でのアンサンブル理論をチーム全体で共有できたことに、本日は価値があった。

あと、本番前日と本番。
5/6の火曜祝日、AM11:19。
大航海に出かけよう。

戻ってMEA本体の次回練習は、
おー、GW真っ只中、伏見の短歌会館です。

(おまけコーナー)
アンコン練習中、筆者の地元の高校時代の連れからひっさびさにLINEあり。
「今日の夜、藤まつり行こうぜい」
愛知県江南市出身の筆者は恥ずかしながら10代の頃まで、藤まつりと言えば曼陀羅寺であり、江南市だけのものであると思っていた。
しかし、江南と言えば藤まつり、というのはたぶん変わっていない。
これまた久々に名鉄犬山線。
西春で特急の通過待ちをしているところで、あとは後ほど撮るであろう写真を下記に載せ、今週は筆を置きたい。