2017/9/16

台風18号(名称 TALIM)の接近に怯える日本列島、ここ女性会館。今宵はホール練習。

狙っていくところは、、

ほんの小さじ少々ぐらいのところ。
A.Bruckner「Os iusti」も そう。

ひがみではないつもりですが、自分をたしなめる意見を言われるのは、きっかけを与えられている訳でむしろ、ありがたい話だと受け止めています。自分が褒められたり(いいことしか言われなかったり)ばかりなのは少々不健全な気がします。また、
自分の声との関連性を確認しながら歌うのは、なにも周りを否定するためではない。ネガティブになってしまうぐらいなら、むしろどーんと構えていた方がいいと思いながら、
前々回の演奏会で取り上げたDOLURIを彷彿とさせる、
Ernani Aguiar(Brazil!)「SALMO150」
を挟み、ポリフォニーの殿堂、
Pierre de La Rue「Laudate Dominum,Omnes gentes」
ついておいで、と誘(いざな)われるめくるめく追試を、華麗に解いていくつもりで歌う、も実際は△や❌が多い、みたいな。なのでこれからです。

♪♪新入団 女声1名、男声1名。
奇跡が重なりたどり着いた出会いを、平然と拍手しつつその実めちゃめちゃうれしかったです。

2017/9/9

柴田南雄

楽譜を縦攻め。下から積み重ねたい。

A.Bruckner「Os iusti」

ポリフォニーはもっとできる。
翌日は、団員同士の結婚式二次会での演奏をしてきます。

MEAkids

ブリッジ、流行ってる?

2017/9/2

おそらくもうaccelかかってるつるべ落とし。
晩夏。女性会館。

練習前、厳密に言うと次次週 に控えた団内結婚での余興の男声練習。
ケレン味のない。

A.Bruckner「Os iusti」
歌う際「聴く」べきは、自分の声と他パートの関連性。

「歌う際に聴く」という行為においてなんらかの誤謬があった、もしくはあるとするならばそれが確かに、語頭の薄弱さ、ひいては合唱団の訴求力の弱さにつながっていたのかもしれません。
プロセスや状況がどれだけ複雑であっても、ツベコベ言わずに自分の持ち場ではしっかり出せよ、ということです。

その結婚式二次会で演奏する予定の、
信長貴富「リフレイン」,横山潤子編曲「心の瞳」のピアノ合わせ。

ひっさびさに伴奏曲。掛け値なしによかった。身体が歓んでる。

世代交代が進んでいるような進んでいないような、

そんなベテランと新入りの中庸な同居が望ましいMEAkids

2017/8/26

秋来ぬと目にもさやかに…朝晩は特に見える女性会館。
練習前、団内結婚での余興の男声練習。dekedekeな。

本練でも、その結婚式での演奏の練習。
産休,育休団員の参加 及び、数か月からの復活団員までいたりして、なんともほっこりとした練習となりました。

今週のMEAkids

子等とアイドル潤潤と筆者

2017/8/19

酷残暑厳しく、女性会館。
さぁ、練習始めます!

ということで、来月の団員同士の結婚式での演奏披露の練習も兼ねて、
横山潤子編曲「心の瞳」

近年、中学校でよく歌われており、坂本九の遺作とも言われているこの曲。
曲中、「とわのもの」という歌詞に無垢にも心が動かされました。続いては、
信長貴富「リフレイン」

筆者は、MEAkidsの託児部屋へ紙芝居をしに、断続的に退座。

「よぉ、新入り。紅白だな!」
ということで戻ると、休憩も終わり、
A.Bruckner「Os iusti」

指揮者との対峙。自分との対座。ruhからつくる響き。大橋先生の「言葉ありきで音楽を作ってみて下さい」…
コンクールで思ったこと。コンクールで突きつけられたこと。自分の中でオーバーラップすることを掴もうとしながら話を聞き、声を出す。なんなら1年間、引きずってやるよ。

2017/8/12

お盆でちと参加人数が少な目も女性会館。
MEAkidsのひとコマ。

練習の様子を。そのイクメンズの吠えっプリから

発声では、出だしの集中力について。
無為むいの入りが決してなきよう、身を引き締めたい。

合唱団としてそこを強く思っていることが分かる時間でした。

A.Bruckner「Os iusti」(正しき人の口は知恵を語り)
この日はこの1曲に身を投じました。

素晴らしい合唱の編み込みが施されている曲で、先週のコンクールで歌った Richte mich, Gott(F.Mendelssohn)とともに、この2曲との出会いをありがとう。なんとしてでも踏破したいんです。と祈りを込めている曲です。(僕がです)
前回ブログのコンクール自由曲の振り返りではありませんが、丸尾喜久子先生こと丸ちゃんの名古屋弁丸出しの曲、鈴木憲夫の祈り三部作から永久トコシナニもさることながら、素晴らしいと思える曲が増えたことは自分の財産だと思っています。
これまで、こと現在においてはMendelssohnで届かなかったことをこの曲で今一度かみしめ、祈りの歌い手の一員となっていきたいと思います。

練習最後にはコンクール反省会に時間を少し。

僕が印象的だったのは、一人が「丸ちゃん時ぐらいから思うと、アンサンブルが全然出来てきた」と言ったそばからもう一人が「そろそろ合唱がしたい」と。自認と辛辣のダブルパンチ。
しかしこれが応酬ではないんですね。

僕はニヤリとここに合唱団の未来を見ました。
統一感覚なんてなくっても、むしろ客観的な内部応援ができるのだなと。こういった点を強みにしたい。

発声・音質C 音程・ハーモニーC 音楽性C…。
この合唱団に良い点、売りな点てあるの?と思いました。なんもないじゃんて。
でもそこから謙虚に、虚無をかき集めるかの如く、形成を再開したい。

2017/8/5

白からグレーにかけて濃淡のある雲雲と青空の混在、等しくゲリラ豪雨のリスク、台風の停滞、世界陸上、8月第1週目の週末、女性会館、ホール練習。

三善 晃「子どもは…」

Raczyński「Dominus illuminatio mea」

この後、指揮者凱旋。
Mendelssohn 「Richte mich, Gott」
「勝ち負けではなく、自分たちの音楽をしよう。いっしょにいくよ」と語りかける指揮者。

自分の母音を自分の世界観で突き詰めるか、
はたまた、団の母音にドッキングサーチャー同調するか。
答えは、他己評価と自分の「確信」の中にある。
自己ベストを叩き出していくこと。

ささやかな闘争心を平常心で発揮します。
課題曲から自由曲へのワンセットの祈り、
お届けに上がります。

2017/7/29

自分が汗臭い(^_^;)、女性会館。
Mr.MEAkids 潤潤のウィンク

はさておき、この合唱団は断固として5パート全員同じ母音で行く。という強い気持ちが表れた発声

Raczyński「Dominus illuminatio mea」
手前みそですが。前回の練習からの自団浄作用、ならびに、オンステメンバーの集結力に言葉がありません。

Mendelssohn 「Richte mich, Gott」
ガンバ感(コノヒトタチガンバッテウタッテルネー感)レベルを乗り越えるために2組に別れて歌ってみる。あぁ、同士よー、どうしよー、みたいな。



忌憚なく(って言った時点でカタいんだけど)、よかったものはよかったってちゃんと言ってあげることで指摘もできるし、スーっと入ってくる。

自分のパートが伸ばしてるから聴こうではなく、自分の合唱団をまず聴こう、って。そしたらガンバ感がいつの間にか抜けていた。

次週コンクール。指揮者凱旋。堂々とボクはステージに乗る。

2017/7/22

日差しが肌に差し込む日中、
瑞穂生涯学習センターでの男声練習。

肌のべとつきがたまんねぇ中、女性会館は大研修室
三善 晃「子どもは…」

試演会でいただいた感想含めて、思ったことを直言し合う。独自の動きをするパートを聴くことで『整う』ことが多い。自分たちが曲のことを知らずして歌っていることを思い知らされる瞬間。

Mendelssohn 「Richte mich, Gott」

発音の再チェックをしつつ、馬脚を現すことのないよう、言葉をひん曲げずに発する。

Raczyński「Dominus illuminatio mea」

今日は振らないと言っていた指揮者補佐。だのに。

「周りを活かす歌い方」と、俗に言う「オレ節(ぶし)」が共存しうるかについて語る

が、実はめっちゃくちゃ巻カれている代表

2017/7/8

冒頭でお知らせ。
来週(厳密には今週)土曜日7/15は、
興文混声,うぃろう,花集庵,VoxMEAの4団体による「合同試演会」@名古屋文理大学文化フォーラム
行います。

ちなみに入場自由。
試演会自体は19:45-の予定です。



※写真は、VoxMEA公式twitterよりscreen shotしたもの。
※そのtwitterはインターネットからもご覧いただけるようです。

さて、セミの鳴き声もどこかで耳にするようになった夏の入り口。今日は中川文化小劇場ホール練習。

夢みたものは、こころよ うたえ で暖気運転しておいてから、本日というかコンクールというか金輪際のテーマは、語尾を合わせることを課すことで、フレーズ感を出し、かつフレーズを歌いきっていくという我慢強さを育むこと。今日はその練習。

三善 晃「子どもは…」

筆者には、孫とはなにかをつい最近教えた小1含めて3人の子供がいます。
子供…その存在に助けられてきました。それと、
子供がいる・いない… その点が大きな局面であったことが僕にはありました。時と場合によっては僕はこの合唱団にはいなかったと思います。それはそうと視点を換えて、
自分が子供だった頃、親は自分のことをどう思っていたかに想いを馳せてみます。親にとって宝物だった自分が、大人になって子供をどう見るか。

ここまで考えといて、改めて、子どもとは、社会というかの共有の財産であるところに行き着きます。ですから「子供がいるいない や 若さ」と「歌の深さ」についての関連性など全く気にする必要などなく、三善のサウンドと谷川俊太郎の世界観を、自分の思う存分、チャレンジしていけばよく、繊細かつ大胆に歌っていきたいと思います。

Raczyński「Dominus illuminatio mea」
を経て、

Mendelssohn 「Richte mich, Gott」

2年続けてコンクールで取り上げる曲が自分の状況にシンクロするというある団員の言葉が、僕個人的にはこの曲にのめり込む端緒でした。

絶えず行ってこその祈りだと、こういった曲に触れているときは思うのですが、コンクールで取り上げることを機に、恥ずかしがらずに申しますと歌うときには、合唱団の平安を望んで歌っています。

この現代社会でネットで調べる気も起きない
「尊厳」、というものが自分にもあるのではないかという気がしてくるのです。決して独りよがりでも押し付けがましくもなく。

仕事の状況や家庭の状況というよりもっと踏み込む、というかもっともっと手前の、自分が関わってきた人々、原風景、判断や決断。それらにもっと胸を張って生きていっていいのではないか。でも、ひそやかに。
そう教えられるのです。

哲学が人生を変えるものでなければならないのと同様に、音楽は人生を変える(とまではいかなくても)ものであるような、そう思わせるものがこの Richte mich, Gott にはあります。

ヴォイトレを受けた団員の、また言葉を借りますが、歌詞(少なくとも名詞や動詞←僕の場合)を頭上に浮上させる、沸き上がらせる「泉」となって歌いたいと思います。

水源であると同時に光源でもあります。
自分が発する光の色を感じたいのです。イメージではなく、出す でもなく、出る色を。


ラストの3曲通し前に、選曲の意図その他モロモロを団に語りかける指揮者