2025/6/14

雨の週末。東別院へ。イーブル名古屋。
今回は人が少なくて、力を貯める雌伏の練習でした。

「お腹とか背中とか、自分で使っている身体の部位をしっかり意識した上での、一段階の成長、としてほしい」
指揮者の引き締めが入る。
新譜 Circle of Lifeの前半をやって、コンクール曲。
1曲に絞ってやりました。

途中、「コンクールを目指す合唱団の音じゃない」
指揮者の高潔なダメ出し。
頭数が少ないからこそ、いや頭数が少なくても取り組めた緻密な練習であった。

筆者のパートは参加者2名で互いにとって厳しい練習であったなーと書いてるのが現在、翌日曜日の午後、ここまででなかなか筆が進まず、ではと狙っていた「いりなか」の南山教会へ。
花集庵とEnsemble Spicyの2団体が聴けるという超お得なイベント。
画像を貼ってもいいのか分からないので貼らないが、
「ニケア公会議1700年記念演奏会」
科学的根拠も証拠もあるかどうか定かではない(いや、定かなのかもしれない)が、キリスト教における言葉の数々が千年も二千年も残っているっていうことの表れです。

いっしょに歌ったことある人がいた。
見たことある人がいた。
途中や終了後に言葉を。交わしたりもした。
なんせ輝いてた。
ただ眩しかった。
隣の芝生がただ青いだけなのか。
敵だった。
大きく見れば仲間だった。
彼らに勝てるのか。
彼女らより高く歌えるのか。
我々がコンクールに出るのは、室内部門。
ひとりひとりの声がダイレクトに届いてしまう。
丸腰で戦場に放り出されるようなものだ。
他団を聴くのはとっても良いことで。
気付けば個ではなく、アンサンブルとして聴いていた。
個の輝きを、アンサンブルというガラスのショーケースに美しく飾りたい。
その努力を行う。
そう言えば、先週日曜日の合唱祭はアッという間でしたが、楽しく歌ってきました。

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