2025/9/6

いま鳴いてるセミはいつ土中から這い出し、羽化し、セミには失礼だが、いつまで鳴き続けるのか。ワル足掻きを…と感じてしまいながら、ガードをくぐり、イーブル名古屋。大研修室。
Mickey Mouse March
途中、主線のソプラノを聴くようになってからガラリと変わったのが僥倖であった。
他、美女と野獣,チムチム・チェリー、、やはり聴いて歌って成り立つ、みたいな。それも「よすが」としたい。
スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス。
筆者は、昨年末の音楽祭でやっといてよかったと超実感。かわりに美女と野獣が全然。
ある真夜中にを効率的に部分的におさらいし、
最後に、Locus iste(Joseph Anton Bruckner)。
「sacramentum」に。
美しさは一向に色褪せない。
珠玉さは増すばかり。

3ステ構成の、年明け1/25の演奏会の曲を踏んでいっています。
要するに県大会終わって、既唱曲の思い出しに時間を割いてる、と言っちゃーおしまいだけど、言えるのかもしれません。
画期的にというか抜本的にというか飛躍的にというか劇的に、曲というか歌というかが良くなる訳ではなく、プラス発声の向上、というか、自分の声の否定、ですよね結局発声って。でも最終自己肯定へと。

で、1曲1曲を楽しみながら、ステージステージを楽しみながら、この合唱団で歌うことを楽しむ、ということ。

相対性から絶対性へ。

手は2つあって、叩くと音が鳴る。
曲の深度と発声そのもの。
「歌うこと」と「聴くこと」。

来週もイーブル名古屋で会いましょー。

2025/8/30

筆者が最近読んだ、「鴻上尚史の具体的で実行可能!な ほがらか人生相談」に、簡単に言うと、

❜❜「内面」より「行動」を問題にした方がいい。❜❜

と書かれている。
目に見えない「内面」を問題にしていては、まとまるものもまとまらない。「行動」が問題なんだと。

強い気持ちを持って、VoxMEAでやっている。団のみんなも同じ方向を向いてやっている、と思っている。
「内面」があっての「行動」、
確かにそう思ってるし、それは読んだ後でもそうだと思ってる。
しかも団がまとまっていない訳でも別にない。

「スタンス」、というとまた違う話になっちゃうのかもしれないが、県大会で及ばなかったところ。そこへの思いの強弱や濃淡ではなく、もちろん合意は図っていかなければならないが、

団員それぞれの、思いの強さだけを物差しにするのもいかがなものか、と指摘されているように感じた。
本にはこうも書いてある。

❜❜目に見えない「内面」を問題にすると、『声が大きい方』や『決意を振り回す方』が勝ってしまう。❜❜

取り組む姿勢や、発声,歌唱の有り様の変化を捉えて行くことは難しいが、筆者がグチグチ漏らし続けている、「県大会で負けた」
に対して、

「で?」

ということである。

「内面」を強調するあまり、団の歩みに、もし自分が歯止めをかけてしまっているとしたらそれは要らない。
思いを新たに、と言ってしまうと「内面」から変わってないやーんってなるが、「内面」と「行動」を区別し、また自分も区別され、取り組んでいきたいと思いつつ、
街がどまつりに吸い寄せられてるのをハッキリと感じざるを得ながら、東別院、イーブル名古屋。
練習前の演奏会実行委員会を終えて17:20。練習前。やってるやってるー。ベースのパーリー。

千原英喜『ある真夜中に』より、
♪「この星に生まれて」
筆者が日々疲れているからなのか、一音ずつ積み上げていく作業というものが改めてとても尊く、「あー、今のいいなー」とよぎった時、すでにそのオッケーテイクは終わっていますね。無形。一瞬。
その次のテイクでは意識し過ぎてグダグダっていう合唱アルアル。
オッケーテイクは二度と戻って来ない。
だから、上手くならなければならない。
精度を高めなければならない。
再現性を高めなければならない。

♪Rheinberger「Salve Regina」
Poulencとのギャップに、あぁなんともmisericordiae。
宗教曲の持つみずみずしさというか、羽ばたきというかを凝縮させたような曲。
上手く歌いたいと思わせる曲。
麗しく歌っている女声に見とれてしまう曲。
アルシステイシスで身をよじってしまう曲。

Mickey Mouse March,Circle of Lifeのポイントを押さえて、

今月誕生日団員を

歌でセレブレイート。

次回もイーブル名古屋、大研修室でーす。

2025/8/23

盆前というか県大会前にわーわー言ってた筆者同様、かどうかは分かりませんが、セミも終息気味。どうりで日も短い。
イーブル名古屋。
あるべきところへ導かれるように発声。

Josef Gabriel Rheinberger「Salve Regina」

※今週は写真撮り忘れたので、取って付けたように県大会直前練習の写真

同じ歌詞が複数の作曲家によってもちろん違う曲として生み出されている点は、合唱の大きな特性であるが、
まるで我々が、
到底足を踏み入れることのない地球上のどこかの海の浜辺近くの浅瀬でシュノーケルしてて出合った『視界の水槽』みたいに、魚や珊瑚やイソギンチャクがギュッと詰まった自分たちだけの秘宝を見つけたような気持ち。ましてや、Poulencとの違いと言ったら。漢文で言う反語よ。
この世の神秘を知った気でいた怖ろしさと、もったいなさよ。
この度この曲を取り上げるということは、祈りを改めて捧げる貴重な機会をいただいたということである。

千原英喜『ある真夜中に』より、
「愛から悩みが生まれ」

※ここでもやっぱり県大会直前写真

武者修行している訳でもないし、
教訓は、複雑に考えずに、身近に、過去にある。
とみた。反省会を経て。
音際(おとぎわ)に注意して、丁寧に、慎重に、情熱的に歌った。
と言いながら最後の
「美女と野獣」
筆者はほぼ歌えず、すみません。

来週もイーブル名古屋。大研修室。

2025/8/3県大会 & 8/10通常練習

県大会が終わって1週間以上が経過。その間に練習も1回やってて、反省会のまとめも行いまして、ようやく筆者はこのブログの場にたどり着きました。

アンコンアンコン言うのは既に、というか最初からご法度なのですが、金賞を受賞したアンコンでの良い流れをより強く太いものにしていく手法を意識して挑んでいった愛知県大会でしたが、

室内の部、2団体出場の2位銀賞

という結果でした。

自分たちは自分たちのプロセスしか知らないし、踏めない。

要するに、…足りなかったということです。

という県大会での結果関係なく我々は、

来年2026年、
年明けの1/25㈰に
南文化小劇場にて
第11回の演奏会

を開きます。それに向かって歩みを進めていくしかありません。

県大会反省会で出た主な点は、良いプロセスに転じさせる大きな要素を含んでいます。
って言ってる時点で、含めて我々のプロセスなんです。
途上なんです。
スピード感,効率的,徹底的,確信的…
多岐にわたるポイントを有機的にこなしていく必要があります。

筆者は殊の外、思い込みが強く、ほんとにというか普通に中部へコマを進められるものだと思ってやっていたものですから、現実を受け入れ難き状況が続き、このブログもダラダラと御託を並べてしまっていますが、大会当日、表彰式から打ち上げに戻った時の団員の様子や反省会での建設的な意見。

未来は確実に担保されているのです。

反省会ではVoxMEAは、何を目指しているのか、と問われました。

「声を一段階、成長させる」
というスローガンで今年は取り組んでいます。
なぜ声を、一段階成長させなければならないのか?

曲を表現するためです。

その曲の要求するレベルで表現するため。でもいいし、
その曲をより高いレベルで表現するため。でもいい。

なぜ、求められる高いレベルで表現する必要性があるのか?

合唱という活動が、
誤解を恐れずに言いますが、
何の知識がなくても誰でもその場でできるという前提があるから、こそです。

歌うことが好きだから。が転じて大勢で歌うのが好きだから。
伴ってルールが必要になってくる。
(ルール大事)

四声で聴きつ織りなし積み重ねて、合唱団というチームで、高いレベルで音楽を表現する
ことを
VoxMEAは目指している。
と筆者であり、合唱団の代表でもある自分は思っています。

じゃあ大会っていう競う場、順位が付く場ではどうかって言うと、
上述のチャレンジが第三者的に評価されてもいいのではないか、
むしろ、強気に言いますが、評価されるべきではないかと思って、ワーワー言いながらやっていました。

我々は上記の演奏会のワンステージで、室内の部1位を獲られた藤森徹先生に客演で振っていただきます。
盗み、吸収していかねばと思っています。

というMEA、今週はお盆休みです。

2025/8/2 県大会いよいよ

イーブル名古屋で最終調整。
8/3㈰事実上の本日、コンクール愛知県大会、室内の部に出場です。

事前に言うのも+手前味噌でナンですが、VoxMEAにしては珍しく、やれないことが多くあって「もう」コンクールー(汗)!っていうよりは、やっとコンクールだよっ、て手応えはあります。
ピアノ練習していたことからも選曲の妙はありますし、
(くどい→)地産地唱に出なかった理由、証明してみせますよ。

次週8/9㈯も、イーブル大研修室で17時半〜練習やります。

2025/7/26 来週日曜日県大会

来週日曜日の県大会まで続く酷暑ストーリー。

「声を一段階、成長させる」
これを我々の合唱団の今年のテーマとして掲げ、挫折と成功のプロセスを踏んでいる。
自分たちのやってること、つまり音楽、にどれだけ確信を持ってやれるか、ではなく、

確信を持ってやるだけ。

そこの評価。

連れてパートミーティングも活況になってきている。

ピアニスト山内先生も物申して来られて良い兆候。

私を連れてってください。
私が連れて行きますから。

とみんなには言いたい。
簡単に言うと、
依存ではなく漢字で書くと「委存」って感じ。委ねる的な、のと、自立が同居している。

酸いも甘いもしゃぶり尽くし、きれてはないので、この3曲でこの仲間と長い夏にしたいです。

2025/7/19

青空が濃い。と書こうとして一応調べたら、夏が濃いイメージがあったが、一概にそういう訳でもなく、無知マンが述べられることでもなさそう。
でも空と雲の対比は、夏の方が明瞭である。
先週の稲沢「中」ホール練習を第一次完成日と位置付け、合唱団にも発破をかけてきたが、出来が悪かった(出られなかった。暗譜してなかった。入り,タイミングを覚えていなかった)ため筆者はモロ敗戦感しかなくて、いよいよ先週のブログでは何も言葉を書き出すことができませんでした。
荒野で瓦礫を拾い集めながら復活への序章。自主トレを積んで力を貯めて、楽しみに、そして行き勇んで新栄へ突撃。東生涯学習センター。

課題曲。
先週までの自分とは違うぞ。
見ていろ!世の中よ。
1週間、己で構築した下支えと、
指揮者の要求をどんどん織り込んでいく。
自分たちはやれてる。

やれるぞ。

勝算もある。

確かな手応えがある。

自由曲。は、
「フレーズの頭の母音を明確に。
小さな音で大きな感動を」と、
合唱団の評価を効率よく高めるための指示を出す指揮者。

働き方改革の光と影(以下、個人的に言いたいだけ)とでも申しましょうか、その残さから捻出されてしまう黒炭のようなものを、自分の毎週土曜日のゴールデンタイムに精錬し、磨き、ダイヤモンドを光り輝いても光り輝いても尚、研ぎ続ける作業。鋼塚さんみたく。
(本来、黒炭は土釜で炭化させた木炭とのことなので、ね、ここはイメージイメージ)

もう一度言いますが言わば地区大会で1回負けて、敗者復活で出させてもらう気持ちで筆者は県大会に乗ります。この3曲で負けを知る者の強みを生かしたい。
「声を一段階、成長させ」た団の姿をお見せする。
大きな声で言えないのでここでひっそりと言うが、
進出するのは我々だ。

次回はイーブル名古屋。ピアノ合わせ。一変した声で揺さぶる。

2025/7/5

セミの音を確かに聞いたと思ったが、鳴き続けてはいなかったので今では幻に感じている。新栄の東生涯学習センター。

前々回の音楽プラザ合奏場が広く、ホールを想起させる場所であり、各自の気付きがあった。
筆者はハコどうこうはあまり思い過ぎないようにしており、三輪先生が仰る空間芸術の域は言うは易し行うは難しで、都度置かれた場所,練習でベストを更新していく
「試技」(重量挙げや跳躍競技・投てき競技などで、一定回数許される演技の一回ごとの演技)
のように感じている。
結果、演奏会など、今回は県大会の会場、
名古屋文理大学文化フォーラムでベストパフォーマンスを出す、
というより、
名古屋文理大学文化フォーラムでもベストパフォーマンスを出す。
ということである。
コンクールがコンクールがと言ってるからいつも筆者は過呼吸になってしまうし、ハコを言い訳にしがち陥りがちだからです。

部分部分の練習を積んで、最後に自由曲2曲を通す。

「やっとスタートラインに立てた感じ」と指揮者のコメントで締めくくり。
次週は名古屋文理大学文化フォーラムの「中」ホールで練習敢行。

2025/6/28

自分的には梅雨明け。東別院。イーブル名古屋。
発声。。結実へのルーティン。
団が正しいと思う、
・発声の高さ
・発語のタイミングの正当性
正解力の、
力強さ。というか、説得力。
というか。

話を勝手にそらしますが、
よく会話で、「何が正解か分かりませんが」とか言ったりしちゃいますよね。
より、正解を見つけにくい芸術、
こと、この音楽においての正解は、
「美しさ」ではあるまいか。
煉獄じゃないけど、儚いものであるから美しくなければならない。
美しさとは、理想。
理想、、とは、現実離れしているものであるから、現実を見せてはいけない我々、演奏者は冷静な没入が必要である。
そこから生まれ得るものを、結実の日に出し切りたい。

話を戻す。サークルオブライフをまあまあマーマー歌って、
自由曲2曲。

冒頭、指揮者の指令。
「レガートで」

一点のお願いと言いながら、実際の要求は、
レガートにプラス、
・次のフレーズに落ちて入らないように。
・子音の先出し
さらに、練習を振り返ると、フレーズ終わりのきれいな着地、と言えるか。

次のフレーズを高い出出しで歌い継いでいくこと。
それもレガートの一環だと言えるのではないだろうか。

できてる人を増やす練習というよりは、
みんなで、パートとして「できる」ための練習。

ここ、しっかりぶつかり感じてから次の音へ。
この一音だけDur.になるからそれ感じてから次の音へ。
って言ったって、身も蓋もないけど言ってしまえば一瞬。
でもその一瞬一瞬、開けていく世界を知っていなければ、知った上で歌わなければ、美しい世界の提示は覚束ない。

忘れてる箇所もあった。
一方、休憩時間に各パートでの円陣もあった。

細かく刻むところは一音ずつでも刻み、あぁ小さくまとまってきちゃったなって思ったら、真逆にのびのびと。
悩んだ分だけ、その分だけ、ボクたちは自由になれる。

次回は新栄。東生涯学習センター。