表題の件、歌ってきました。
いつもより歌でよい反応ができて、よかったです。
「合唱団全員が草書でしたためた半紙を重ねてその筆跡がほとんどいっしょのような感じで」
女性会館での練習。
発声では、顔の前方、顔というか頭の中央、頭の後方、それぞれで声を出す感じ。うなじをが上に引っ張られる感じとか。graduallyに。
伊藤康英 交響詩《時の逝く》に続き、
三宅悠太「子守唄」。ソルミゼーションでは、自分で音符をスライドさせて歌います。
(僕個人的には1音、2音ぐらいで限界)
次に取り組んだ曲は団にとっての新譜、
信長貴富「こころよ うたえ」
初見をソルミゼーションで歌いきりました。
ひとり歌うこともできずに階名をふり続けながら、団の成長に目を細めていた僕をよそに。
明日は、2週間後に控えた、合唱団 花集庵さんとともに合唱パートに出演する 4/2愛知県芸術劇場コンサートホールでの
『マスターズ・ブラス・ナゴヤ 第2回定期演奏会』のマエストロ練習。
幸せな時間を送りたいと思います。
文責:itapoco
3月12日(日)の午前・午後にわたって中川生涯学習センターにて、アンコン練習を行いました。
長時間にわたる練習ではありましたが、集中して取り組めました。
まだまだうまくいかない部分も多いですが、少しずつ2曲全体を通した練習を行えるようになってきたので、よりそれぞれの曲の表情付けを行いました。
一つのフレーズの中でも、歌詞や音楽の流れなどを意識して、作曲者が込めた意図を表現しなくてはなりません。
それは、直接的に楽譜に明示されているわけでもありません。
今回は女声ユニゾン、繰り返されるフレーズ、テンポ感について主に考え、積み上げていきました。
場面の変化や盛り上がり・下がりをいかに表現するか、何回も皆で声を合わせ、確認していきました。
これから本番まで、私たちの解釈の中で、私たちだからこそできる表現を完成させていきたいと思います。
また、練習を通して母音の作り方に注意して取り組みました。
母音の作り方は本練習でよく取り組んでいますが、それを改めたアンコン練習でも意識しました、
外国語の曲を合唱としてお届けするためには、普段の日常会話にはない口先や口内の使い方が必要です。
本練習で身に着けたことをアンコン練習で生かし、逆にアンコン練習で得たものを本練習へと還元できるようになれればと思います。
まだまだではありますが、私たちの解釈を余すことなく表現できるような演奏を目指して取り組んでいきます!
女性会館での練習。5名の見学者があり、また、全体的になんというか、いい感じの練習でした。
伊藤康英 交響詩《時の逝く》
来週の指揮者練習へ向けて急ピッチで進める。先週の団内叱咤が効いたか、だいぶんよくなりました。
武満 徹「小さな空」
この曲、ことごとく円運動で歌う練習をしています。
その円に磨きがかかり、球体になりつつあります。
透明な球体の中で幼い頃の自分がぐるぐるぐるぐる回っています。個人的にはヴォカリーゼも周りを聴いてよくなってきました。
そして新曲、三宅悠太「子守唄」
立原道造の詞に、ケレン味のない、新しい 三宅悠太のサウンド。その相性がなんともこころにくい。
裏ではMEAkids。
子連れ団員が交代で託児しています。
きょうは ひつじさんの きりきりえを つくりました
文責:ushipoco
3月4日 昭和生涯学習センターにて、全体練習の前にアンコンチームでの練習を行いました。
まだなかなか通りませんが、曲の雰囲気を確認してから歌詞付けを行いました。
まずは一曲目。ウムラウト、語尾子音に苦戦しながら、音に言葉を当てはめていきます。さて、どの言語でしょう。
曲推薦者の和訳による解説を挟みながら、一通りさらうことが出来ました。
この言葉を見て、作曲者はなぜこの音を、和音を、音形をあてたのか。深く考えさせられる瞬間でもあります。
今回、短母音、長母音、超長母音については、あまり触れられませんでしたが、今後の練習の中でしっかりと取り組んでいきます。
続いて2曲目。アクセント位置に気を付けながら、こちらも言葉をつけていきます。
演奏によって発音が違うこともあり、どの発音が正しいのかを検討していきます。
耳にする機会は多いですが、ネイティブのいない言語ということで、参考資料が少ない言語であるともいえます。
曲に言葉をつけ、血の通った音楽を目指して、練習していきます。
女性会館での練習。
発声時はうなじを意識。女声も男声も。
背中を意識できるし、頭部も意識できます。
そして、伊藤康英 交響詩《時の逝く》へ突入。
ベース、ガンバやで!
母音を揃える=まず口形を揃える、ということなんだと改めて思う練習でした。
この時代に生きるボク達にとって、幸せって何だろうと想いつつ、また、歌がうまくなりたいと思いながら、口形を揃える作業を続けました。
「はるべに」って春辺に、何度も何度も繰り返しながら。
近道って、一単語ごとに積み重ねていくことなのか、曲の構成や背景から俯瞰的に捉えることなのか、そもそも近道なんてないと知りながら。
客観的にどう見えるか、を突き詰めすぎると音楽的に表面的になってしまう気もします。そこは以前に触れた1.5人称を意識して。
出会いがあれば、別れもあります。そういった世の理を痛感しながら、転勤で名古屋を離れる友へ「サリマライズ」
歓送会、その名を「Zutto会」
またひとつ大きくなっていきたい。
4/2(日) 合唱団 花集庵さんとともに出演する、『マスターズ・ブラス・ナゴヤ 第2回定期演奏会』に向けて焦りつつ。
文責:ICHIpoco
2回目の練習。昭和生涯学習センター。
この日は楽譜に階名を振って歌いましたが、その前提として、「階名唱をやる意味」を考えました。
その曲を支配する音階(スケール)を知り、その構成音それぞれの役割・性格・取るべきピッチを理解する。それらの音が連なってできた一つのスケール「ドレミファソラシド」の中に、文章で言うところの「起承転結」を感じられるようになる。
その上でもう一度楽譜を見ると、一つ一つの音が、流れの中でも決しておざなりにできない大事なものに思えてきます。
それは、「鍵盤で弾きながら、それを耳コピして音を取る」という方法では絶対に辿り着けない領域です。
理解できない・面白みが感じられない人には、地味でつまらない作業になってしまいますが、人の心を打つ音楽をするために避けて通ってはいけない部分だと思います。
これから、テキストや曲想についても考えながら練習を進めていくことになると思いますが、その中でも必ず一つ一つの音への配慮を忘れない、謙虚な姿勢で、tuttiというチームの音楽を形作っていきたいと思います。
tuttiの皆さん、頑張りましょうね!👍
女性会館での練習。
伊藤康英 交響詩《時の逝く》
エ母音のときは意地でもおでこを前にせり出します。
あした の「あ」とか、頬 の「ほ」とか、「ひ」「か」「り」全部 輝かせるには とか、くれて の語頭ウ母音の距離とか、ゆうべ の語頭 Y の深さとか、都度いちいちチャレンジ。
Mendelssohn 「Richte mich, Gott」
団員への歌詞の読み聞かせ
ウというかオというかの中間ぐらいの母音にrをつけてメロディーを歌唱。
(両頬に掌を押し当ててタテになる口形から出てくる声、実に感触がいい)
母音の最大公約数を、(累積ならぬ)累乗していく尊い作業。全員がまとめる側にもまとめられる側にもなれるし、なり得ます。
要はライヴで現場で、意識を持てるかどうかですね。
武満 徹「小さな空」
できない部分をなくしたいです。僕は中間部のヴォカリーゼ。円やバラバラに解き放たれてしまうと、途端にシュン(._.)と歌えなくなってしまいます。