本練前に港SGCにて少人数で練習
演奏会2週間前となりました。
VoxMEAが歌う各曲、各ステージ。
その日その時一瞬で過ぎ去ってしまう各フレーズ。
名前を付けてやろう。
新星を発見した人にだけ許される行為のように
文責I
演奏会第1ステージの曲をメインに練習できる、実質ラストの日でした。
これ以降は、全ステージの曲を総ざらいしていくことになり、1曲1曲にあまり時間を取ることができなくなるので、大事な練習日となりました。
「歌心がある」とは、どういうことかを考えたときに、「メトロノームに合わせたような歌い方をせず、自由にフレーズを揺らして歌う」ということを考えがちですが、最初から好き放題に揺らしに行ってしまうと、出来上がった音楽は往往にして、とても独善的なものになってしまいます。
「楽譜上の音符をより細分化したビートを感じ、規定のテンポを忠実に守れるようになること。それができて初めてフレーズを揺らすことが許される」とは指揮者談。
ただ、その一方で「テンポに厳密なだけでは、音楽に魔法をかけることは出来ない」
…という印象的な言葉もありました。
以前に、「守・破・離」という武道の心得を用いて、これも同じく指揮者が話してくれたことがありました。
規定のテンポという型を破っても、独りよがりでなく、謙虚で誠実な音楽として成立をさせるためには、まず大前提として型を学び、それを守れなければならない…
魔法をかけるためには、魔法使いになるための地味で地道な修行が必要。そういうことなのだと思いました。
今日のMEAkids
ふと見上げた名駅の夜空、ミッドランドスクエアの壁面イルミネーション、始まったんだ、、もうXmasだね。演奏会まで1ヶ月。
女性会館。ピアノ合わせ。3stから。
コンクール全国大会や指揮法マスタークラスで研鑽の旅に出ていた指揮者が意欲的に振る。
この熱量、団の熱気を演奏会のステージで出せたら本物ですね、って言うか、出したい。そのための準備を怠らないようにしたいと思っています。
2stの「永久ニ」(読みは、とこしなに、です)
「祈り3部作」と呼ばれているそうです。
迫真の、大人の雄(牝も)叫びをお聴かせしたいと思います。
ええと、
人は人から学びを得ていくのだと思うのですが、
一人の人生が変われば、周囲の複数の人生も揺さぶられる。
襟をピンと正して生きていかないかんな、と思いました。
テノールは本練前に、我が団のヴォイストレーナー三輪陽子先生によるパートヴォイトレ
得たことをうまく伝えられませんが、
歌う際に自分で決めてしまっていることで不自由になっていることが多いのだなという気付きがありました。
あらゆる時において、「テクニック(が大切であるということ)は変わりません。」という一言も励みとなります。
心身が自由でいることでやっと、周囲に合わせられるのだということもよく理解できました。
また、それらを実践することがどれだけ難しいことかということも身をもって改めて知りました。
12/25の第8回演奏会では、シッターによる未就学児無料託児(若干名)を行います。詳しくはWebビラをご覧ください。
写真は団内輪番託児MEAkidsの様子
17時ぐらいからの、夕闇へのアッチェルが止まらない女性会館。演奏会実行委員会も大詰め。
私たち混声合唱団VoxMEAの第8回演奏会はHP冒頭のWebビラにある通り、3st構成うち、
1,2stは未就学児入場不可
(3stのXmasステージのみ未就学児入場可)
とさせていただきます。
また、今回の演奏会では未就学児無料託児(若干名)を実施いたします。
詳しくは、㈱ポピンズまでお問い合わせください。https://www.poppins.co.jp/nanny/
さて練習。
Kodaly 「Szep konyorges」
コンクール県大会時よりも高い位置に当てて、クリアに歌えたような気がします。
休憩中の男声コツコツ練
Christmas is coming
永久ニやBusto 「O magnum mysterium」
「1.5人称」
ひとりで一人称していては、たかが知れているのかなと、思います。
主・客を自分の中で共存させて、自分を否定したり肯定しながら歌い、そして生きたいと思います。
◆文責 M
寒さの緩んだ、行楽日和な秋の午後。千種SGC。
慣れてない日中の練習に、身体を起こすところからゆっくりと。
身体の使い方→息の流れ→曲へと丁寧に結びつけていく。
1stから、Ave Maris Stella、ヴァルセイフィヨルドの結婚行進曲
歩きながら歌い、発声と曲の抑揚を結びつける。
音型や、リズムに身体は素直に反応してしまう。高い音に向かえば、音量は大きくなりリズムは速くなる。逆も然り。
それは、太古より身体に織り込まれた音への呼応。素直に身を委ね、歌うのは心地よいけれど…。
果たしてその音楽は聴く方としても常に心地のよいものだろうか。
作るために、届けるために。
抗いがたい自分の身体の素直さを、抑え、往なし続け、合わせること。
そうやって抑制されたものがあって初めて、その上に重ねた色が「聴く心地よさ」となり輝くのだと…
改めて投げかけられた練習でした。
演奏会まで、あと一ヵ月半。
本格的な白い冬が来る前に、ここからまた色を重ねていこう。
誰も仮装しては来ないVoxMEA、女性会館での午後夜間のホール練習。
「アッポッジョ」…と指揮者が切り出してきましたが、これは支持,サポートを意味するイタリア語だそうでそこから派生して、支えをつくる,声がブレスに乗って歌われる、という発声法を指す言葉です。
発声時にブレスを行う際、膨らみ・凹ましをさも大きくさせて、やった気になるのではなく、お腹の上部からと下部からの圧力が平衡,均衡を保ち、声を出す手ぐすねを引いている感じでしょうか。
1st.からAve Maris Stella。
「音程ではなく身体のポジションを気にしろ」…と指揮者は言いました。いやいやこれには恐れ入りました。自分に、経験から来る確信がないとできません。
でもこの痛烈な激励、しかと肝銘したい。
G2 Kodaly
コンクール以来久々で、は言い訳になりませんね。もっと洗練と深みを伴う演奏をお聴かせしたい。
他1stの曲やって、3st。ネウマ譜からのHodie Chiristus Natus est
指揮者は曲中、区切りの頭拍だけしか合図してこない。そう、アンサンブルせよと暗に命じているのです。
i母音で集めたものを掴んだままu母音で延ばすことを意識しながら、他のピアノ伴奏付きのXmas曲をやった後、2st 連弾の「永久ニ」
通しの前に、「この組曲に必要とされる発声や発語ができれば、それで音楽として成立します」と選曲からの経緯を団に語りかける指揮者。
ええと、
去る日曜日に大須のclassicさんにて有志演奏したことを報告しましたが今回、お客さんの入りが実は少ないこともあってか、音楽を生業にすることを目の当たりにしたような気がします。音楽への関わり方というか。
ステージと客席の段差もなく、フラットで、もう目の前にお客様方の、生演奏に包まれた素敵な時間を提供するカフェ・バー・レストランで。
「歌っていて楽しい」は歌唱者の想いで、それは「音楽していて楽しい」と換言できたりされたりします。次の(と言っていいと思うのですが)ステップととして、「音楽でひとを歓ばせることができて楽しい」「感動を与えることができて楽しい」という段階があると思います。
究極的に、音楽で食べていける「プロ」がいます。
今回、「歌っていて楽しい」ということが、いかに、どれだけ多面的なものであるかを思い知らされました。
それらできる限り多くを知った上で、
驕らず卑しまず、
言わば自分のホームで、自分のできる音楽を全うしたい。そう思います。
Trick or sing.
Happy MEA, happy halloween!
薄曇りの女性会館、ホール練習。
3stのXmas曲と2st永久ニのピアノ合わせ。
「声」は誰一人、同じ声などないのだから、
と語り始めると、『VoxMEAとはラテン語で私の声を意味する』という創団の緒先輩方に想いを馳せてしまうのですが、
母音を揃える(その団がコレだと思う母音に収束される)→響きが揃う(団の響きが決まってくる)→その響きを持ってして、旋律や言葉を表現できているかが合唱団の命題だと改めて感じる練習でした。
まず、First Noelから。
この曲を歌っていると、初めて洋楽を聴いたときの衝撃を歌いながらも味わえてしまう(と思うのは僕だけでしょうか)。
その後、Christmas is coming,Jingle Bells,Silent Night,さらに永久ニと続けました。
不幸せも幸せも大きすぎず、ちっちゃくていい。
いきなりすみません。
さて♪新入団、女声1名。
待ち焦がれていました。ありがとうございます。
そしていよいよ明日(正しくは本日)、18時半~ 大須カフェでの演奏。団員は誰も聴きに来ないことを確認したので、誰か聴きに来てください
万物がキラキラきらめく秋の1日、女性会館。
次週のホール練習を控えて、2st,3stのピアノ曲。
(本日取り組んだ曲)
John Rutter 「First Noel」
Mack Wilberg 「Christmas is coming」 「Jingle Bells」
Will Todd 「Silent Night」
鈴木憲夫 「永久ニ」(読み[とこしなに]。この日は今夏コンクール県大会で演奏した1番以外の2,3番を)
sustainabilityのために準備と、言わば破壊と、言わば想像を各々のなかで繰り広げようと。
不注意に出会い頭に声を出してしまうのではなく、腹で暖気して逸脱しない声を出したいです。
何を逸脱しないかは、長短関わらず経てきた各々の合唱キャリアに委ねる部分。
[がむしゃらにやってきたけど、振り返ると私の人生、合唱そのもの]の中身を、今から意図的に積み上げ。
自分の人生を自分が投げ出すことはしない。
side by sideで歌い、結果、隣の人と高め合っていきたいです