ブラジルのアマゾンで未確認の部族が発見された模様。パッとニュースを見ただけなので詳細なんとも言えませんが、
にしても世界は広いなぁ。音楽も際限がありません。
さて、午後の自主練習を経て、名東文化小劇場へ。小見山先生とのティオピアノ合わせ。

夢の時間てのは束の間であるばかりでなく、いつも振り返ってばっか。

MEAがティオをやる、だけでなく、すごかったと言われたい。
お盆玉?そんなものが世の中に流布していることとは関係なく、本日は午後から自主練習。

演奏会の曲を見渡していて、

ポイントとなるのが、来週小見山先生とのピアノ合わせを行う、
4st 木下牧子「ティオの夜の旅」

取り組んでいって、一歩離れて眺め、歌詞についていろいろ考えるようになります。気になる詞ばかりですがそのうち、どうしても引っかかるのが「空の裏側」という表現。数多いフィクションの中でも僕は、空に裏側はないと思う。生きてきてこれまで見てきた表立った空がすべてであると思う。とか考えて歌えておもしろいです。
そうそう、別室では子連れ団員による交代託児システム、お盆休みが終わる憂いも感じさせない「MEAkids」。

さておき、午後夜間の練習を通して合唱団がティオに対して、なんとなく安心する ことができる練習・プロセスであったように思います。
山の日。祝日と言えば

アクテノン。
中村公園からめっちゃもっと向こうに歩いて到達。
筆者が噴水の辺りのベンチで居眠りしてしまい遅刻(^_^;)
するぐらいの周辺の、あまりに穏やかな時間の流れっぷり。
コンクール明けの練習は、
10/6(土)に豊田市コンサートホール行う、第9回演奏会。
あっそうだ、未就学児入場不可ですが、無料で託児サービス行います。

詳しくは↑ビラ内に詳細ありますのでご確認ください。
戻ります。コンクール明けの練習は、
その演奏会のⅠステの「詩編による宗教音楽」をおさらい。
「音楽は、コンクールで取り組んだことを落とし込んでのゼロベースからの組み立てを。音楽って復元作業じゃなくてそういうもんだし。でも一方、歌詞はゼロベースではダメよ」
とは指揮者補佐。いいこと言った、
さて、やった曲は、
⚪️Marek Raczyński「Dominus Illuminatio Mea」
⚪️Anton Bruckner「Os justi」
⚪️Felix Mendelssohn「Richte mich, Gott」
⚪️Pierre de la Rue「Laudate Dominum, omnes gentes」
「音取りがんばります」と力強く宣言してくれた女声1名の新入団を加え、臆することなく、合唱団が そして音楽が元気に存在していました。
コンクールで取り組んで高みまで到達できなかったという思いが、

我々に合唱の尊さを教えてくれたような、
そしてそれを実践する練習であったように思います。
気象庁の降水短時間予報とにらめっこしながら、本日は中村生涯学習センターにて、午後夜間の強化練習。
当団ヴォイストレーナー・三輪陽子先生によるヴォイトレ。
まだ危うさを伴う合唱団の歌唱に付き添うように動かす三輪先生の口元や手元に合わせて声を出していく。少なくとも自分は。

周りを聴け!周りに合わせろ!と言ったり言われたりしますが、三輪先生のレッスンはそれが自然とできてる。いっつも。
「揃える」のではなく、歌うポイントを整えていけば、「揃ってくる」ことを知っている。
歌詞を明るく当てる位置を都度指摘されてゆく。
1週間前の合唱団に必要な指導。同時に、
1週間前にこれをやっているようでは…という思いが、色濃く自分の中に影を落とす。コンクールの醍醐味。
個個人の問題。
次に控えるアンサンブルの問題、

合唱団の問題。

そこまで言及し見渡せる人数が多数派を占めて勝負したい。
台風の接近に伴う公共交通機関の運転見合わせ及び安全を優先し、19時過ぎに早めに解散しました。
…too hot,女性会館.
午後の発音講座を経て、実りの、としたい本練へ。
Franz Schubert「Chor der Engel」
楽譜に十字架を打ち据えるかのように。

しかし、語頭とフレーズ終わりの処理を適切に行い、次のステップに進みたい。
David Wikander「Förvårskväll」
自分の合唱愛が試される瞬間。
自分がどれだけ執着できる人間か。
ダディ、オレ、興奮を抑えきれないよ。
リア充を実感したくて声をしっかり出してしまって指揮者に御される。
そうだ、ここは、この世が作り出した静寂の中で、淡雪のように降りしきりたい。

ダディ、聴いてくれたかい?

合唱団の(そしてオレの)春の夕べ。
続いてもDavid Wikanderの「Kung Liljekonvalje」

個人差はありますが、筆者的には、さらってきたとは言え合唱祭での頑張りが身体に残っていてたいへんうれしい。
捨てたもんじゃないな、人の記憶力って。
いよいよだな、ダディ、3曲通すってよ。

手段にあくせくしていた訳ですが、
ここをひとつのゴールとしていいぐらい、合唱団が 手応え といふものを確実に手にした練習となったと思います。
しかしこの出来で通用すると少しでも思ったら音楽的にもう既に敗け。こんなんで金賞獲れるんだったらこれまでも獲れてたじゃんという話です。
ここからは、合唱団が尺度をどこまで高く持っていけるか次第で、音楽はどこまでも良くなっていく可能性を秘めています。自分で決めてしまうことではありません。
鼻を高くしたら少しでも言語感が出るのかなとピクピクさせていたら、鼻の穴を拡げると口角の上部辺りが多少 上に引っ張られるのでこれでいってみようと決めて臨んだ女性会館。
子連れ団員は交代託児のMEAkids

かわいい3きょうだいね。
みずぼうそうの子を抱えた筆者はMEAkidsにも入れず子供運用してて遅刻で大研修室入ったら、ほんと人が人を呼ぶというか、ものすっごいたくさん人がいたYeah.

見学者が見学者を呼ぶ状況。
新入団は女声1名,男声1名。
というところからも必要な「勢量」は揃ったと捉えてよくて、あとはアンサンブルの仕方と暗譜だと思います。自分が必死に声を出さなきゃ、と思わさないこと。
(練習曲)
Franz Schubert「Chor der Engel」
David Wikander「Förvårskväll」
週イチの時間はあっちゅう間で、問題に気付き 修正するまでのプロセスを1回の練習で踏むことは非常に困難です。
多い課題を絞って大きくして…って昔「コンパクト,インパクト,コンスタント」って述べたことがあります。インパクトか‥、大事だけど3原則より下位になります。言うなら今は「コンパクト,コンタクト,コンスタント」です。
コンタクト>インパクトは成長の証でしょう。
韻は踏み続けたいです。
本日午後は北生涯学習センターにて、合唱団のヴォイストレーナー三輪陽子先生によるチームヴォイトレ。
団員それぞれ、発音,流れ,決めたい音,跳躍等の課題を抱えつつ、
Franz Schubert「Chor der Engel」

母音が明るく光る通り道は一本しかない。
と思います。自分にしか分からない道。
でも入れば、自分が歌って輝ける道。
北上して本練は、
北文化小劇場にて、小見山先生ピアノ合わせ。

木下牧子「ティオの夜の旅」


この組曲、見学に行くか、10/6の演奏会に来るかしかありませんが、
難しいわ世界観はかけ離れてるわ っていう感じなのですが、小見山先生のピアノと、この組曲の持ちうる未曾有の力なのでしょうか、自分がその世界に飛び込んで、そこで未知なる力を出して暴れ回っちゃう感じがしました。
見学者もすこぶる多く、本日に至っては6名。
最近は復団者も多く、素晴らしい活気。
いろいろな要素だと思いますが、団が新しい活力を得ている感じがしました。
MEAが思うMEAたるべき ではなく、みんなが思うVoxMEA。
今がそうなのか、これからがそうなのか、分かりません。
でも新しい力を加えつつ、時流にも乗り、とても楽しい練習となりました。
でもそれは、VoxMEAだけで起こっていることでは決してないのでしょう。
瑞穂生涯学習センター。
子持ちの筆者は遅れて到着。扉を開けたら
Franz Schubert「Chor der Engel」

fとpしかないダイナミクス。これに関しては、言葉と概念を身にまとい、前を向いてアンサンブルでその都度産み出していくべきでしょう。
おっとここで、2チームに分かれて小アンサンブルの見せ合いっこ。

歌い(聞いて)、聞いて(歌い)、パートミーティング、聞いて(歌い)、歌い(聞いて)、パートミーティング、全員。会心のアンサンブルができたと思います。
規律。サッカーを観ていると出てくる言葉ですが、合唱ではどうですか。規律の中の自由か。規律か自由か。自由の中の規律か。
「聴く」と「聴き合う」。動詞と複合動詞。
今日のアンサンブルを聴いていて、スキルある者が規律に注力している姿に、僕は胸を打たれる人間なんだと思いました。
WelcomeWelcome。演奏会来てねん。
また託児行います。

さあ、拡散の彼方へ。
入梅も午後は、瑞穂生涯学習センターで男声練習。

David Wikander「Förvårskväll」
奥が深いどころか、フェスで何歌っていたんだろうという筆者の出来(^_^;)
自分の歌唱の力に対する自意識過剰。
に対する合唱団の優しさが身に染みた、
女性会館への移動。名城線右回り。
WEBビラにある通り、次回演奏会の中でラスト4ステ 木下牧子「ティオの夜の旅」
現時点ではとてもじゃないけど伴奏では決してない、ぐらい合唱団側が歌えていないの意、
ピアノ:小見山純一先生との合わせ初回。

筆者的には、5番の第一音を聞いたときの感覚。音楽だなと思いました。
団員それぞれが思うしかるべき音が、しかるべく鳴った現場。小見山先生が有していた音と合唱団が待ち望んでいた音が出合った、その深い衝動が大研修室には満ちていました。
さして歌えていないのに天上までお連れていただいたピアノ練習。一方で露になった、切迫している合唱団のアラ。両方がない交ぜになった思い。

しっかりと、ステージという形にしなければなりません。