2025/5/10

東別院のイーブル名古屋。
発声でスタートできると、やはりその夜は調子が良い。
上西メソッドのひとつを思い出してみる。
「浮力と写し鏡で水面を押す力を感じ、下半身で歌う」
水面を滑っていく、筆者はジェットスキーをイメージ。
浮力とは、。
ブログをしたためつつ調べる。
液体に浸かる物体には、物体が押し出した液体の重量に等しい浮力が働く、というアルキメデス法則をネットで見つける。理論的にも合ってる。
そもそもイメージの部分が大きいし、実際に曲を歌っているときに実践できているかどうか、というモヤモヤが常に付きまとう。
でもいろいろ考えながら、少しでも歌が上手くなりたい。
で、曲に入る。

上を向いて歩こう
見上げてごらん夜の星を
おぼろ月夜
りんごの唄
四季の歌
ふるさと

どう声を出していけばよいか、引き続き、いろいろ考えながら歌っ、てしまう。
しかし、そういう意識が、聴こえていく音楽にどこまで反映されるんだろう。ここでまた考えてしまう。とにかく、
これらを歌う機会についてはまた報告できると思います。
続いて、コンクール曲に取りかかる。

「声を一段階、成長させる」
これは当団の今年の共通目標である。

5/6(火祝)にアンコンがあった。

一般の部で金賞。狙いに行った賞を獲った。
よかったよかった。

じゃあ次なる問い。
声が一段階成長したから金賞が獲れたのか?
その手応えがないんですよね。ないから考えたい。考えて答えに、そして言葉にしなければならない。

当初(今年年明け)の
自分のイメージでは、団員とは違う次元で頭ひとつ抜けた歌声を獲得し、みんなを引っ張っていく。そんなある意味、気概みたいなものはあった。
その気概の、分量だけは良し。損ないたくない。
でも今(GW明けたぐらい)、
まず思うのは、声で引っ張っていく、ってのはおそらく間違いであり幻想で、そうなったとして混声合唱団という構造上、パートの声を殺してしまうこととほぼ同義、だと言ってよいであろう。

三輪先生のボイトレでの、チームの「ここがおすすめポイント」を見つけておくとよい。という言葉を反芻する。恥ずかしながら、現時点で言葉にすれば、
「意識してアンサンブルをしようとしている点」
って筆者は言ってしまいそう。
上手ければ無意識にできてしまうところを、上手くないので意識してやってます、ってスタイル。
声をアンサンブル仕様にすること。
それも成長のひとつだと思う。

「明るい声を出すこと」
今日現在での、声の一段階の成長、と位置付けたいと思っている。
何故、明るい声が必要か?となにかのインタビューで問われた際の答えを持っているべきで、筆者は、
「曲の表現を、より正しく行うために必要だから」
という答えを持って、そして動いている。

先週は、
次の高い音に行く、首の後ろから頭頂までの準備動線を金輪際、「翼を広げる」と呼ぶこととした。
それが1週間前は一番大事だと思った。それはそれでよいし、実際そう思って今週も歌ってた。そのことを蓄積と言っちゃってよくって、
今週は、
明るい声を出せることは成長のひとつとみなしてよい。
という境地にたどり着いた。
それもまた良し。ということです。

最後にMickey Mouse Marchを、団員伴奏付きで。
この曲は時間がかかる。時間がかかる分だけ、「耳スキル」を高めなければならないし、「苦労対効果」という果実も得なければならない。うーむ、勢いで言葉にしたはいいが、あまりにも重たくなってしまった。。
簡単に言うと、1回、あー歌ったー、って感覚持ちたいです。

次週は新栄、東生涯学習センターです。

2025/5/3

X見てますとね、他団では新入団新入団新入団。いやー、うらやましい限りです。
なかなかままならない中、隣の芝生が青いならば、他団から見れば我々が今度は「隣」となり得る。と
見方を変えればオッケー。平気平気ですー。
世はGW。伏見と栄のほぼ中間、短歌会館。

Mickey Mouse March

何回かやってきてずーっと後ろ向きチックなことを書いてきちゃいましたが、今日ブレイクスルーしましたね、って思ってるのは自分だけでしょうか。やっと良さを感ずることができました。

コンクール曲

実は筆者、本日決めたことがあるんです。聞いてもらえます?

次の高い音に行く、首の後ろから頭頂までの準備動線を金輪際、「翼を広げる」と呼ぶこととします。

歌ってると自由になれるんですよ。全部やらないと飛べませんし、曲による部分もあるんですが。
でも今日はなりきりはできなかった。しかしその、自由に歌うためのルールを指揮者が交通整理した。もうこんなこと書いてるだけで、翼を与えられたような気になっています。
どこにでも行ける。ような気がしてる。みんなで飛んでいきたい。

最後に「リンゴの唄」と「ふるさと」を少々。

次回練習5/10㈯は、イーブル名古屋です。

take me higher

2025/4/26

輝く季節。
バイクでイーブル名古屋。

コンクール曲。

今やっている事。
レガート、
っていう生涯テーマが頭をよぎる。
フレーズ,メロディー,言葉…
枚挙に暇なく山積し続ける命題。
母音の凹凸に左右されない言葉を、更に言えば言葉の中身を
口内バトンパスしていくこと。
それを感じさせてくれる曲、
と言うべきなのか、
自分がその段階まで来れてるのか、

次の曲でそれを確認しようと思っていたが、
自分があまりにも、曲の高潔さを表現できなかった。
目の前を歓喜が通り過ぎていく。
団としてはたいへん良い音が鳴っている。
ちゃんと聴けて歌えている。
それは分かった。
歯がゆかった。
その歓喜を取り込むことができないまま、
「Mickey Mouse March」
歌詞を付けてついに現した、その正体を感じながらラストに、
「見上げてごらん夜の星を」

翌日日曜日。
同じイーブル名古屋でアンコン練習。
例年ぶつかるまでもなかなかいかない壁にこの時点でぶつかる。
良い兆候。
アンサンブルの妙が襲いかかる。
細かく自分らで埋め込んだ、様々な to do 課題。
歌いきる気概でそれらをクリアし続けていったつもりでも、歌唱後、
曲の流れや、本来あるべき演奏像がどこかに行ってしまっていた。

「合成の誤謬」

個々の問題を解決していっても、全体で見るとおかしな結果を招いてしまうこと。

アンサンブルをアンサンブルを、と言い続けている。
行き着くところ、

アンサンブルを行うにあたっては、壁というものは常に立ちはだかり続けるものなのである。
そうでなくてはアンサンブルをやっていることにはならない。

細かいチェック事項をさんざん課しつつ、歌う自由を獲得することである。
この、現時点でのアンサンブル理論をチーム全体で共有できたことに、本日は価値があった。

あと、本番前日と本番。
5/6の火曜祝日、AM11:19。
大航海に出かけよう。

戻ってMEA本体の次回練習は、
おー、GW真っ只中、伏見の短歌会館です。

(おまけコーナー)
アンコン練習中、筆者の地元の高校時代の連れからひっさびさにLINEあり。
「今日の夜、藤まつり行こうぜい」
愛知県江南市出身の筆者は恥ずかしながら10代の頃まで、藤まつりと言えば曼陀羅寺であり、江南市だけのものであると思っていた。
しかし、江南と言えば藤まつり、というのはたぶん変わっていない。
これまた久々に名鉄犬山線。
西春で特急の通過待ちをしているところで、あとは後ほど撮るであろう写真を下記に載せ、今週は筆を置きたい。

2025/4/19

アートピアホールでの高校アンコンの誘導係で、出場全団体を見送り自分の仕事を全うした上で、このあと自分とこの練習があるんですー、とそそくさと矢場町を後にし土日エコキップで新栄へ、東生涯学習センター。

Mickey Mouse March

これがあのボクらが知ってる快活なものなのか、半信半疑のセブンスやナインスが続く地獄の進行。
辛さを愉しみに昇華できるか、今後に期待したい。

コンクール曲に取りかかる時間帯に、アンコンに出場する筆者は、我らが三輪陽子先生による個人ボイトレへ。
「よい内声的な声でいらっしゃる」
あゝ、あゝゝ、、、救われましたーー。

自分の、代表1期目の時に随分教えていただき、空白時代があって、現在の2期目。代表という立場も踏まえての今宵のマンツー謁見。
強烈な郷愁。
時空を超えた戦慄。
いつもいつも自信を与えてくださる。
勝手に満を持してアンサンブルに戻る。
コンクール曲が続いていた。
「どこにでも行ける柔軟性かつ伸縮性のある音,声を有していなさい」
と指揮者のゲキが飛んでいました。
練習最後にHBDsing。

笑顔あふれる写真を見つめつつ、筆者は考える。
何が足りないんだろう。
ひょっとしたらその思考がすでに、足りてない善戦マンレベルに陥っている表れなのかもしれない。
三輪先生ボイトレで、チームとしての売りを持て、と賜った。
勝者の視点に立つ必要はある。
でも今は、何が足りないのか、である。
紙一重だと思う。
物理的ではないが、
言われれば治る。
ここだと思っている。
奇跡は起こせない。
逆転満塁ホームランも、ホームスチールもできない。
でも定常的に、
頭に身体に心に沁み入った、これまで指導を受けてきた各事柄
を元に、声を繰り出し続けること、
しかできない。
しかできないことをやり続けること。
繰り出し続けるために、完全に敢然と得心をしなければならない。

成功体験を遂げ続けること。
と、それを実行し続ける意志。

心技体なのかもしれない。
そうではないのかもしれない。

筆者の身体の半分はTHE BLUE HEARTSでできているが、「泣かないで恋人よ」という曲で言っている。

ドデカイ ウソをつきとおすなら
それは本当になる

次回はイーブル名古屋

2025/4/12

筆者は休日出勤の作業が手こずり合唱に遅刻するっていう、本末を転倒嘆いても嘆ききれないまま1時間遅刻で東生涯学習センターへ。
Chim Chim Cher-eeで発声を済ませ、Mickey Mouse Marchの音取りをしているところでしたが、ドアの向こうから聴こえてくるのは、あの快活なメロディーではなく、うーん、なんともメロウ調。
輪に入りましたが、なんとなくMEAに合ってる感じ。シブい感じ。

コンクール曲。
先週は筆者のパートが自分ひとりで孤軍苦闘してましたが、この日も筆者が来るまではひとりが孤軍奮闘してました。おぅ、待たせたな!と調子よくはできずに、あまり助力できませんでした。
むしろ先週全然入れなかった箇所が、第三音的な入りをすれば入っていけることを教えてもらった。上から目線で申し訳ないが、ありがとう。
もちろんピンで歌えた方が良くって、その集合体が合唱団であることが本来望ましい姿ですが、内心、ひとりじゃ歌えない、集まって合唱として歌えればそれでいいンだ、と言い訳を考えてたところにもうひとり来てくれたー。安堵の歌唱。

先月の「ある真夜中に」(千原英喜)とかみたいに自分の中に音楽が入ってるとこのブログでも偉そうなことを言い出すが、音取り段階だとキレもイマイチ。なんとも都合のよい話。
最後、「上を向いて歩こう」を小気味よく歌えました。

翌日アンコン練。
2曲歌うんですがうち1曲やってたら部屋の残り時間5分。イケますね今年は、と言っておきましょう。

最後に戻って、本練習、次回も東生涯学習センター。
新年度、皆さん生活が落ち着いてきたら趣味の世界に目を転じましょう。我々があなたの新展開の先でお待ちしております。

2025/4/5

桜もったもった。桜見ると、絶対、
「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」
この句を思い出す。
7世紀、1,300〜1,400年前だって。むー、悠久。
いろんな人が団を通り過ぎていき、、ひとつの時代だったんですよ、って言われたの思い出すなー、そして、とどまり続ける人,戻って来る人がいる。
工夫したり改善したりして、同じ人であっても、すでに同じ人ではない。そこにこの句の意味がある。
そして、新しく入ってくる人もいる。
そうそう、見学者1名。
VoxMEAを選ぶ、シブい。その心意気です。

今日は地下鉄で新栄へ。東生涯学習センター。

コンクール曲。
Finally、出ましたね、この禁句。
いやぁー、ねー、2月ぐらいから着手してたんですよ、自由曲から。「選曲は戦略」って言うでしょ。ひた隠しにしてブログ書くのに腐心してました。

最後に「ふるさと」少々歌って、、来週も東生涯学習センター。

先週の日曜日は、連盟主催の合唱クリニックを受診した。
団外秘録画をバイブルとしたい。

当日冒頭、曲を1回通しての、講師:上西一郎先生の第一声。
「丁寧につくり込まれています」
あぁ、圧倒はしてないんだな、と思いました。
受講団に桜花学園さんがいた。
上から声が降ってくる。ホールを充たす。真っ直ぐ正面向いて。いい顔、いい返事。しようとしてやってる以前に、自然とできちゃってるアンサンブル。これが全国かと圧倒された。

我々には圧倒させるものはない。
受講したからといって劇変する訳もなく。
じゃあ日々の生活の中でつくり込んで、積み重ねていくしかない。
それを奇跡と定義づけてやる。
そういう側の評価のされ方があってもいいじゃないか。
我々には、そういう評価のされ方しかない。
腹くくって。

2025/3/29

こりゃー桜の見頃は今日明日だな、でも今日はサブいなーとひとりゴチつつ、今日もバイクでイーブル名古屋。
昨日ヒロトで惨敗した開幕戦明けて、第2戦が気になり、ちょうど練習始めがデーゲームの試合終わる頃でチラチラ携帯見てたら、藤森先生もチュニドラ気にされてた。
そう、本日は藤森先生による「ある真夜中に」一次完成日。

20時〜全通しする、と聞いてガっとギヤが上がる。

crescendoは、水平に拡がる感じ。
diminuendoは、遠くに行く感じ。

「この星に生まれて」
感情を出していいんだよ、とは藤森先生の導き。

「寂庵の祈り」

『山』の単位、ってご存知ですか。
「座」、です。
2小節を一座,二座と感じ、進んでいきながら、その二座4小節を一座ワンフレーズと捉える歌い方。アルシス・テイシス。双子の星。明日もがんばりたいですね。

さんざんご指導いただいた後、超然と、そして敢然と通しを突き進んでいく藤森先生。揺れた前髪がその指で掻き上げられる度に、来年1/25㈰の南文化小劇場の15時頃(筆者推定)、こんな風に音楽してるんだなーって今日は思いながら歌っていました。前のステージがあって、この組曲があって、でも
ずっとその前、夏にコンクールがあって、その前に合唱祭があって、その前に慰問演奏があって、その前にアンコンがあって、その前に
日付でいうともう今日。本日、
中村文化小劇場での、連盟主催の「合唱クリニック」にて講師:上西一郎先生に診察を受けます。
診察時間は14時半から、50分間の予定。

前後しますが練習最後に今週お誕生日を迎えられた藤森先生へ、藤森先生自らご編曲のハピバースデーをプレゼンート。

来週からは3週連続で新栄の、東生涯学習センター。

2025/3/22

名曲シリーズが到着すると、
今年もコンクールに挑戦できる楽しみがわいてきますね。

団を創立してからずっと挑戦し続けれられることに
今はとても幸せを感じていますし、
今よりさらに成長できるように
少しずつかもしれませんが、自分の声と向き合い
取り組んでいきたいと思います。

ということで、前置きが長くなりましたが、
本日の練習では早速、課題曲の練習に着手しました。
これから、まずは県大会に向けて、
じっくり曲に向き合っていきたいと思います。
いやあ、楽しみ~

後半は千原英喜のある真夜中に。
次回練習で藤森先生の練習でいったん仕上げということで、
みんな気合が入った練習でした。
男声も少ないながらも奮闘してくれました。
(ありがとう!)

合唱団としての統一事項が共有できたことで、
響きの不揃いが本当に少なくなったと感じています。
これもひとえに団員の意識が高くなり、
継続して取り組んでいることに他ならないと感じています。
(これも感謝しかありません!)

練習後は恒例のHBDソング&集合写真。
一人ひとりを尊敬しあい、敬愛する気持ちがあるから
誕生日は一人ひとりをお祝いしたいんですよね。

合唱団として、指揮者に影響されるというより
一人ひとりが主役であり続け、
一人ひとりを尊重して、大事にしながら
これからも素敵なハーモニーを楽しんでいきたいと思います。

引き続き応援よろしくお願いします。
そして一緒に歌う仲間も募集中です!

2025/3/15

イーブル名古屋。
藤森先生練習。

発声。
高音は頭上の後方で圧縮するイメージを持って。

イメージする際の両の腕をアップしての持っていき方からして、筆者はこれを勝手に
「バサロ唱法」と名付けまして。
先週勝手にお伝えした、
「サンライズ唱法」と二法流でチャレンジしていきたいと思っています。
筆者の怪し気な唱法は置いといて、
先々週の先生練習でご指南受けた、日本語、日本語、平坦な日本語、平坦な、、
を頭の中で呪詛笑、を呟くようにして意気込んで来た今宵の藤森先生練習。
千原英喜の組曲「ある真夜中に」。熟成へと。

寂庵のFdurでは、第三音が第五音の輝きを持つように(間違って解釈してたらごめんなさい)、との音色指示。ホント藤森先生の曲の箇所箇所による歌い分けに関する指導には、ありがたいことに、
「我々は曲のアナライズができている!」と勘違いさせていただいている。
平坦な日本語をどんだけ~繰り出してやろうかとリキんでいましたが、藤森先生、今回は一度もそのパワーワードを発することはありませんでした。むしろ今回は、しっかり日本語を喋りましょう。という練習で、先生のメソッドの奥深さに感じ入ってしまいました。

今回、最も腑に落ちたのが、
「ブレスが落ちるディミヌエンド(dim.)をしない」、つまり、
そこで、曲全体を団がインクルードする緊張感が抜けてしまう、ってことなんです。現実が見えちゃうっていうか。

新しく揺さぶられる音楽を探し求めYouTubeを聴いたりするのですが、「上手い/そうでもない」って何が違うんだろう、ってとこに行き着くんですよね。
アラがない。もちろんです。そのアラ全てに根源的に関わっているのがブレスだと思うんですね。
呼吸法とか難しい話ではなくて、合唱団が、
世界を、モードを創り出しているか、
演者として作品にのめり込んでいるか、
見極められちゃうんだと思うんです。
って思いながら、歌いながら団を眺める。個別に都度指摘する話でもなく。何回か前に述べた、
何事も1分の1。
やるべきこと(分母)を全て
出し切っていく(分子)
団の取り組みが必要となります。
自分だけの問題じゃありません。
団の決意の問題です。

ここからは、アンコンチーム三五、帰っちゃった人には申し訳ないが、

最後の最後に4名で1曲通しました。

来週もイーブル名古屋でよろしく。

2025/3/8

イーブル名古屋。
発声。
「タイミング」もアンサンブルである、と指揮者。聴くとか感じるとか以前に、清く正しく個々が発信。それをチームで積み重ねていく所業。そこに集う意義がある。

組曲「ある真夜中に」、先週のおさらい。
筆者は藤森先生の残り香を感じながら、
①今回提示された新機軸、「しゃべり日本語」と「歌い日本語」の違いを埋め合わせるメソッドとしての『平坦な日本語』
②指揮者が指摘する『二語目への意識』
③通奏高音としての、『高く明るい位置での歌唱、まさに水平線から昇っていく母音をきっちり捕らえていくチャレンジ。名付けてサンライズ唱法』
これらを勝手にテーマに掲げ、練習に突入。

アンサンブルで他パートを眺めていますとね、まず自分がやろう、って思うんですよね。
(周りに対して)できてないじゃん、じゃなくて、まず自分が実践することでみんなに、できてた方がいいじゃん。良い表現ができるよね。っていう、

団風をつくること。
世界を変えること。
ないならつくればいい。

「寂庵の祈り」の、楽譜で言うと、32頁31小節目。ハイパートの、平和の「わ」のファの音。
自分が歌ってない感じで。溶けちゃってる感じで。って。
すべてが合わさる瞬間。少しでも増やしたい。
異声が好き。
同声も好き。
声差を超える。

練習最後に、昨年度の会計監査,今年度の活動計画,予算案,次回演奏会の演奏曲決定‥等、
ここでいきなり自祝。
3/4に創団25周年を迎えました。ハイ拍手。今年は記念演奏会とかできませんですが、

我々(スタッフ)が、団員の快適な合唱環境をお約束します。と語る代表。

練習後、初めて8人全員揃ったアンコン、チーム三五。

合わせようぜ、と。

翌朝、バイクのオイル交換を(自分で)済ませ、名古屋ウイメンズマラソンの交通規制をかいくぐり、イーブル名古屋、アゲイン。

破綻しないように、でも攻めないと表現できないそのギリギリの一本道を、管(くだ)一杯に充たしながら堂々と進んでいく。

メンバーとの対応力の競い合い。
楽譜をタテに見て、同じフレーズはもちろん、同じ母音、さらに違う母音も感じながら。

来週も本練はイーブル名古屋。
藤森先生練習。