2025/10/18

「迷いが救いである」
鎌倉殿の13人で義時が運慶だか快慶だかから言われていた言葉を思い出したが、そんなに自分の人生を文字通り上から見ることは実際できない。とにかく先週、指揮者と話したのは、名より実を取るというか、自分らの持ち味と言い続けていることそのことにアグラをかいている可能性もあるってことです。これしかない、ってやってることで逆に浮上や上達を阻んでしまっていては本末転倒で、この世にわりと溢れてる本末転倒をひっくり返していこうってことです。
2ヶ月前にこの場で申し上げた、「内面性より実際の行動を評価すべき」にも繋がっていくと思います。

今回の練習は指揮者を前に置かず、県大会の反省でも出たうちの一つ、「意見を言い合おう」練習を行いました。

「他パートを聴こうとしている声がちゃんよ聴こえるよ」
気付いたときには、そう声を掛け合っている場面もありました。
分かるんだよねー、やっぱりそういうの。

第五感の一つを研ぎ澄ますために、一つを閉じる。みたいな感じで、目をつぶって歌ってみたりする。
心の眼で聴く、というか、眼とか耳とか器官ではなく。
先々週からのケツへの意識。腹ん中の空洞にエア感。垂直に体内上昇。眼の耳の、それぞれの器官をダイレクトに有機的に使う。
「身体を使う」とか、
「身体は楽器だ」とか言うけど、あんま腑に落ちてなかったし今でも決して理解できていない。
ともしび。ともしび。ともしび。
先週に引き続いての、ここ、イーブル名古屋の文化活動室は、ほんとこの手の練習に相応しい。
J.G.Rheinberger
Josquin des Prez
A.Bruckner
F.Poulenc
Micky Mouse March
チム・チム・チェリー
を最後に歌ってから、今月のHBD。
男声ふたり。

おめでとさーん。

次回は中川生涯学習センター。
尾頭橋駅から徒歩17分。
山王駅から徒歩約17分。
黄金駅から徒歩約19分。とあるが、金山から歩くしかないと思います。アクセスを楽しもう。

2025/10/11

お待たせしたのか、してないのか分かりませんが、我々、

混声合唱団VoxMEA 第11回演奏会
のフライヤーをリリースいたします。

来年年明け2026年、1月25日(日)、
名古屋市の堀田,笠寺が最寄りの南文化小劇場です。
14時開演で、1時間半そこそこです。
お引き回しのほど、なにとぞよろしくお願いいたします。
QRあるので、電子チケット「teket」使ってみて。


さて、練習。
発声するにあたり、先週のテーマを思い出してやってみる。プラス、かかとを少し上げてみる。
ケツとかかとと。身体の、歌唱を行うにほど良い負荷がかかっている感覚。 芯と、体内エアの暖気を自覚する。

今日「も」なのか、今日「は」なのか、そんなことはどうでもいい。
今日もやってやるぜ。
オレはアンサンブルにおける最高の殉職者だ。
練り上げたこの内声で貢献してやる。
和欧、そう和洋じゃない、合唱のバヤイ、特にルネサンスを論ずるなら和欧でいいはずだ。
和欧問わず、どんな曲でも同じスタイルで歌い抜いてやるぜ。

※写真は筆者の左側で歌っている人たちです。

Ave Maria。
イーブル名古屋1Fの文化活動室というのがこれまた、街の片隅で、とある人々の集まりでひっそりと、それでいて高らかに祝詞を歌い上げる行いにうってつけというか、とっても雰囲気の良い空間。
曲に助けられつつ、我々の魂はここにあるんだぞと。
3チームに分かれて、ポリフォニーを各チーム円になって奏でてみる。
聴き合おう、ってことです。
フレーズフレーズのを出出しで息を合わせよう、ってことです。
フレーズ終わりを、歌いながらも手を取り合いながら、テイシスしようってことです。

答え、というかヒントやきっかけはいたるところにある。

他、美女と野獣,Mickey Mouse March,Locus iste
を歌いました。
来週もイーブル名古屋の文化活動室です。

2025/10/4

練習前、筆者は土曜の真っ昼間から母校であるとある関西の、Fランクまでは行かないと思っている、Eランクぐらいの某私立大学の愛知県支部の同窓会に参加してきた。
学歌が気持ちかったが、結局、大学自体,現役の学生,そして卒業生同士で連携,協同みたいなことできたらお互いいいよね、って毎年、戦略的,前衛的な来る人によってそうなりがち、とにかく筆者は、
メリット/デメリット
の関係ってのが、そういう場であってもなくてもほんとに嫌で、そういったところとは無縁の、たとえそれが意味なし会話であっても、笑い話をしていたい。そう思いながら、
2個上の大学合唱団時代からお世話になっている大先輩と、24時間のところでもう少し飲んでから、早めに東別院のイーブルへ。仮眠を取って、17時半。練習開始。
指揮者は冒頭の発声での指示で、
「おしりのほっぺを持ち上げて」
1日の練習で、身体のどこか一部を意識するのはテーマを持ってやってる感じがして、とても感触がよい。毎回のテーマアップ分を蓄積して、スキルアップしていきたい。

Ave Maria
結果的に2週連続で同じことを言っていてくどいが、第1音から時空を超えて世界に、そして自分にたゆとう豊かさがフレーズの途中にあって、第1音に戻ること。その調える行為がたいへんいとおしい。この世に生を受けたひとりとして、生きるにあたり、それだけでも最低限していかなければならないような気がした。

尊厳。意味)気高く侵しがたいこと。
そう、これが尊厳なんだ。
どこかの国の話ではない。
自分の問題なんだと。

毎回の練習後に、記録係から練習録画が団内配信される。
今回から、練習の場で話された言葉がAIによって、録音と合わせて文章化された。練習日誌のような形である。
人生相談の聞き役をAIが担っている時代である。肯定してくれるから打ち明けやすいそうだ。行き過ぎて、海外では自殺を助長した、というニュースも耳にした。
使用者の選択が大切なのは言うまでもないが、身をもって技術の恩恵を甘受することとなる。
そんな練習、ですが次回は、イーブル名古屋です。
待ち人来たる、にてお願いできたらなーと。

2026/9/27

愛知県合唱連盟理事である筆者と、手伝いに手を挙げた指揮者は練習当日、豊田市民文化会館で行われた中部合唱コンクールの裏方として携わっていた。
指揮者は録音係。筆者は舞台係。
裏方として舞台袖から羨望と、悔恨の眼差しで出演各団体を順繰りに見送っていった。
あーだこーだ、あーでもないこーでもないと指揮者と勝手に寸評してました。

合唱団同士のちょっとの差、に、果てしない、永遠に近い隔たりがあってしまっていた。

一発勝負。世界陸上100m。0.1秒差が永遠。何mもの差がある。そこを見られている。聴かれている。群雄割拠。あきらめたらそこでノーサイド。ノーサイドなんて意味ない。あくまでも狙っていく。
気持ちをブンブン奮い立たせながら、19:10過ぎにやっとこさ東別院に到着。イーブル名古屋の大研修室へ。

本日は筆者推しの宗教曲DAY。

ステージの全曲の通しを敢行。
各々の頭の中に出来栄え棒グラフ📊がイメージできたと思う。
昔やった曲。アンコンでやった曲。県大会でやった曲。団員によっては、すべてその逆だったり。

筆者の家族で最近、バイオリンを始めた者がいる。
先週触れた、「テンポは技術」の件。
まさに目の当たりにしている。そういう見方をしていなかったので、これまで。この着眼点の獲得は大きい。
身体は楽器、という論理である。
よいアウトプットには、よいインプット。
時には聴く。時には合わせる。時には俯瞰や鳥瞰。時にはバイプレーヤー。それはそうなんだが、音楽を志す者、うまくなるしかないのである。

次週もイーブル名古屋で練習です。

2025/9/20

「他人」と「他者」の違い、ねー。両方とも、自分以外を指すが、他人、は何も、プラスもマイナスも生まない、生ませないという設定だから置いといて、
他者。。
「己」つまり「自」の定義付けがあるから、その「自」から見た「自」以外を「他」、つまり「他者」と定義付けるのであろう。
その他者とのかかわりが、たいへん重要であるということです。
気付きは、他者がいる世界でしか、おそらく、ない、ってことです。

今日は名古屋市東生涯学習センターにて、我が団のヴォイストレーナー三輪陽子先生のボイトレの日。

「自分の目線より下の音は『ない』」
と語る三輪先生の見本歌唱の声に既に常時、麗しい至高の輝きが宿っている。

鼻腔の空間、略して鼻腔間,腹,ケツの穴,そして「高さ」を意識して声を出すことで、スピード感が出る。
スピード感、すなはち「テンポ」
テンポに遅れるのは、テンポ感が遅いとかテンポの感じ方、ではなく、すなわち、

「テンポは発声の問題」

ってことです。
ここに新たなる気付きがあった。

今年度取り組んでいる「声を一段階、成長させる」が、
「高さ」
にあることが理解できた我々の次の課題、命題は
「テンポ」
ということです。

Ave Maria。
誰のかを言ってしまいたくない。次の演奏会のド頭の曲。
筆者が次回演奏会ですべてをかけている曲。
冒頭のフレーズで全パート、一音目から最終音へ同じ音へ戻って来る。つまり同じ和音に帰って来る。
フレーズが終わる度に、帰還,安息,回帰,安寧、。
これら筆者では安直な言葉選びになってしまうが、これらの安らぎに触れる度、いや、触れさせていただく度に、原罪が根底にある我々に歓びの機会,権利が与えられる。いいんだよと。

♪見学者1名
♪復団者1名

ともにありがとうございます。

練習最後は今月誕生日団員を歌で祝福。

団サイトの「練習予定」のグーグルカレンダー、見てる人は見てるみたい。
次回は東別院のイーブル名古屋。
宗教曲やりましょう。

2025/9/13

筆者が土曜日の午前中に観ていた、9月の世界陸上の男女混合400m✕4リレー走を走り終えた日本チームの第三走者の選手が、競技直後、その時点で予選落ち(結果、他チーム失格のため決勝進出)であったことを受けてのインタビューで泣いていた。これだけ、悔しさを爆発させていいんだ、この世の中は、と。次元の違いこそあれ、ど、。
いつまでも県大会の結果を引きずっている指揮者、と代表。
悪いか。引きずって。。、いや、引きずってんじゃない。
噛み締めてるんだ。
当方の言い方がわるい、です。
次回から言い換えますね。

ところで読者の皆さんはこのサイトの見出しに「練習予定」とあるのをご存知であろうか。
私たちが待っています。週イチのチャンスを逃す手はありません。

今週はイーブル名古屋。東別院。

全体発声をユニゾンで歌っているつもりで筆者は、耳も使っちゃいながら行なって、、
いやー、ほんとにファルセットと実声が実際、いっそのこと混ざっちゃえーいとか思いながら。ひとりmixed。イエーイ。

スパカリ,チムチムチェリーで一旦休憩に入ったが、感触としては、
指揮者なのかな、ピアノの山内先生なのかな、はたまた我々歌い手なのか、ソツなくこなすスキルが上がっているように感じた。その上、
「自分と、手にする楽譜」という狭い空間感で必死こいちゃってるっていうアルアル、ではなく、ステージ全体を通して楽しもうというマインドも感じられた。

↓オーダーの工夫に団内か゚ウケる。団笑してる様子笑。

美女と野獣。訳して、Beauty and the Beast とはいうものの、Beast感は要らない。各声部の和声感が、ものすごーく問われる曲。本領発揮といきたい。
Micky Mouse March。
ピアノや、モードや雰囲気に頼ってしまう感じ。
自分の歌でしっかり手繰り寄せるステージにせなアカン。
写真は4曲通す前の休憩で入りの音を確認するベースのメンズ。

オレたちはやらなきゃならねーんだ。

やってやるんだ。

最後に Locus iste。
Joseph Anton Bruckner。

ほんと、なんてバラエティに富んだ、端から端までの幅広ーい選曲。

禍福は糾える縄の如し。
その縄を綱に糾えて、均衡を保つように、綱引きでもしましょうよ。調和のとれた力感があり、適度に張りつめた緊張感。

話を戻しまして、サイトのポータル、練習予定のグーグルカレンダーを見ていただきながら、次回は新栄、東生涯学習センターで、時刻は毎週変更なし、17時半に待ってます。

2025/9/6

いま鳴いてるセミはいつ土中から這い出し、羽化し、セミには失礼だが、いつまで鳴き続けるのか。ワル足掻きを…と感じてしまいながら、ガードをくぐり、イーブル名古屋。大研修室。
Mickey Mouse March
途中、主線のソプラノを聴くようになってからガラリと変わったのが僥倖であった。
他、美女と野獣,チムチム・チェリー、、やはり聴いて歌って成り立つ、みたいな。それも「よすが」としたい。
スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス。
筆者は、昨年末の音楽祭でやっといてよかったと超実感。かわりに美女と野獣が全然。
ある真夜中にを効率的に部分的におさらいし、
最後に、Locus iste(Joseph Anton Bruckner)。
「sacramentum」に。
美しさは一向に色褪せない。
珠玉さは増すばかり。

3ステ構成の、年明け1/25の演奏会の曲を踏んでいっています。
要するに県大会終わって、既唱曲の思い出しに時間を割いてる、と言っちゃーおしまいだけど、言えるのかもしれません。
画期的にというか抜本的にというか飛躍的にというか劇的に、曲というか歌というかが良くなる訳ではなく、プラス発声の向上、というか、自分の声の否定、ですよね結局発声って。でも最終自己肯定へと。

で、1曲1曲を楽しみながら、ステージステージを楽しみながら、この合唱団で歌うことを楽しむ、ということ。

相対性から絶対性へ。

手は2つあって、叩くと音が鳴る。
曲の深度と発声そのもの。
「歌うこと」と「聴くこと」。

来週もイーブル名古屋で会いましょー。

2025/8/30

筆者が最近読んだ、「鴻上尚史の具体的で実行可能!な ほがらか人生相談」に、簡単に言うと、

❜❜「内面」より「行動」を問題にした方がいい。❜❜

と書かれている。
目に見えない「内面」を問題にしていては、まとまるものもまとまらない。「行動」が問題なんだと。

強い気持ちを持って、VoxMEAでやっている。団のみんなも同じ方向を向いてやっている、と思っている。
「内面」があっての「行動」、
確かにそう思ってるし、それは読んだ後でもそうだと思ってる。
しかも団がまとまっていない訳でも別にない。

「スタンス」、というとまた違う話になっちゃうのかもしれないが、県大会で及ばなかったところ。そこへの思いの強弱や濃淡ではなく、もちろん合意は図っていかなければならないが、

団員それぞれの、思いの強さだけを物差しにするのもいかがなものか、と指摘されているように感じた。
本にはこうも書いてある。

❜❜目に見えない「内面」を問題にすると、『声が大きい方』や『決意を振り回す方』が勝ってしまう。❜❜

取り組む姿勢や、発声,歌唱の有り様の変化を捉えて行くことは難しいが、筆者がグチグチ漏らし続けている、「県大会で負けた」
に対して、

「で?」

ということである。

「内面」を強調するあまり、団の歩みに、もし自分が歯止めをかけてしまっているとしたらそれは要らない。
思いを新たに、と言ってしまうと「内面」から変わってないやーんってなるが、「内面」と「行動」を区別し、また自分も区別され、取り組んでいきたいと思いつつ、
街がどまつりに吸い寄せられてるのをハッキリと感じざるを得ながら、東別院、イーブル名古屋。
練習前の演奏会実行委員会を終えて17:20。練習前。やってるやってるー。ベースのパーリー。

千原英喜『ある真夜中に』より、
♪「この星に生まれて」
筆者が日々疲れているからなのか、一音ずつ積み上げていく作業というものが改めてとても尊く、「あー、今のいいなー」とよぎった時、すでにそのオッケーテイクは終わっていますね。無形。一瞬。
その次のテイクでは意識し過ぎてグダグダっていう合唱アルアル。
オッケーテイクは二度と戻って来ない。
だから、上手くならなければならない。
精度を高めなければならない。
再現性を高めなければならない。

♪Rheinberger「Salve Regina」
Poulencとのギャップに、あぁなんともmisericordiae。
宗教曲の持つみずみずしさというか、羽ばたきというかを凝縮させたような曲。
上手く歌いたいと思わせる曲。
麗しく歌っている女声に見とれてしまう曲。
アルシステイシスで身をよじってしまう曲。

Mickey Mouse March,Circle of Lifeのポイントを押さえて、

今月誕生日団員を

歌でセレブレイート。

次回もイーブル名古屋、大研修室でーす。

2025/8/23

盆前というか県大会前にわーわー言ってた筆者同様、かどうかは分かりませんが、セミも終息気味。どうりで日も短い。
イーブル名古屋。
あるべきところへ導かれるように発声。

Josef Gabriel Rheinberger「Salve Regina」

※今週は写真撮り忘れたので、取って付けたように県大会直前練習の写真

同じ歌詞が複数の作曲家によってもちろん違う曲として生み出されている点は、合唱の大きな特性であるが、
まるで我々が、
到底足を踏み入れることのない地球上のどこかの海の浜辺近くの浅瀬でシュノーケルしてて出合った『視界の水槽』みたいに、魚や珊瑚やイソギンチャクがギュッと詰まった自分たちだけの秘宝を見つけたような気持ち。ましてや、Poulencとの違いと言ったら。漢文で言う反語よ。
この世の神秘を知った気でいた怖ろしさと、もったいなさよ。
この度この曲を取り上げるということは、祈りを改めて捧げる貴重な機会をいただいたということである。

千原英喜『ある真夜中に』より、
「愛から悩みが生まれ」

※ここでもやっぱり県大会直前写真

武者修行している訳でもないし、
教訓は、複雑に考えずに、身近に、過去にある。
とみた。反省会を経て。
音際(おとぎわ)に注意して、丁寧に、慎重に、情熱的に歌った。
と言いながら最後の
「美女と野獣」
筆者はほぼ歌えず、すみません。

来週もイーブル名古屋。大研修室。

2025/8/3県大会 & 8/10通常練習

県大会が終わって1週間以上が経過。その間に練習も1回やってて、反省会のまとめも行いまして、ようやく筆者はこのブログの場にたどり着きました。

アンコンアンコン言うのは既に、というか最初からご法度なのですが、金賞を受賞したアンコンでの良い流れをより強く太いものにしていく手法を意識して挑んでいった愛知県大会でしたが、

室内の部、2団体出場の2位銀賞

という結果でした。

自分たちは自分たちのプロセスしか知らないし、踏めない。

要するに、…足りなかったということです。

という県大会での結果関係なく我々は、

来年2026年、
年明けの1/25㈰に
南文化小劇場にて
第11回の演奏会

を開きます。それに向かって歩みを進めていくしかありません。

県大会反省会で出た主な点は、良いプロセスに転じさせる大きな要素を含んでいます。
って言ってる時点で、含めて我々のプロセスなんです。
途上なんです。
スピード感,効率的,徹底的,確信的…
多岐にわたるポイントを有機的にこなしていく必要があります。

筆者は殊の外、思い込みが強く、ほんとにというか普通に中部へコマを進められるものだと思ってやっていたものですから、現実を受け入れ難き状況が続き、このブログもダラダラと御託を並べてしまっていますが、大会当日、表彰式から打ち上げに戻った時の団員の様子や反省会での建設的な意見。

未来は確実に担保されているのです。

反省会ではVoxMEAは、何を目指しているのか、と問われました。

「声を一段階、成長させる」
というスローガンで今年は取り組んでいます。
なぜ声を、一段階成長させなければならないのか?

曲を表現するためです。

その曲の要求するレベルで表現するため。でもいいし、
その曲をより高いレベルで表現するため。でもいい。

なぜ、求められる高いレベルで表現する必要性があるのか?

合唱という活動が、
誤解を恐れずに言いますが、
何の知識がなくても誰でもその場でできるという前提があるから、こそです。

歌うことが好きだから。が転じて大勢で歌うのが好きだから。
伴ってルールが必要になってくる。
(ルール大事)

四声で聴きつ織りなし積み重ねて、合唱団というチームで、高いレベルで音楽を表現する
ことを
VoxMEAは目指している。
と筆者であり、合唱団の代表でもある自分は思っています。

じゃあ大会っていう競う場、順位が付く場ではどうかって言うと、
上述のチャレンジが第三者的に評価されてもいいのではないか、
むしろ、強気に言いますが、評価されるべきではないかと思って、ワーワー言いながらやっていました。

我々は上記の演奏会のワンステージで、室内の部1位を獲られた藤森徹先生に客演で振っていただきます。
盗み、吸収していかねばと思っています。

というMEA、今週はお盆休みです。