2016.7.2

湿度に追い付かれ、7月冒頭で暑さ本格化の女性会館。
発声。息、声、息、声、、アスファルトを舗装するように。あれっ、変わり目 気付かなかった、みたいな感じで。しかも平面ではなく、少し隆起する感覚。
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Kodaly。どの箇所で自分の歌が破綻するかを自分で観察。声の、まさに出し始めと切り際に細心の注意を払う
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意識して頑張る合唱から、ありのままの自分でいられる合唱へ。

つながり挟んで鈴木憲夫
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大勢のなかで単に声を出す歓び。
上手く聴こえるようにとの功名心からの歓び。
それらの次の段階に行かなければなりません。
それは教えてもらったっていい、自分で気付いてももちろんいい。
自分の真正面でモロ感じられる歓びを。

新入団、女声1名。
MEAでなにかを見つけてもらうのではなく、MEAが見つけなければいけないものがある

2016.6.25

夏至ら辺は梅雨なんだと思い知らされたぐずついた1週間。
演奏会ジャスト半年前の女性会館。

発声時に軟口蓋と喉仏とお腹の連動の確認をしてからの「つながり」
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指揮者と指揮者補佐のカリキュラムの違いを楽しみ、自分を団を補完しながら鈴木憲夫、そしてKodaly。
ことポリフォニーではまず各パートでの曲としての成立が要求されている、と1パートずつ晒され言い合う。
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晒され指摘され、個がパートが確立していく感覚。そして団として。

↓(2016.6.19 発声講座受講)した団員から
例えばパート体で、まず私がちゃんと歌おう、を捨てろと、身体が固まる大きな要因のひとつなんだと教わり、その点を気を付けて練習に臨みました。
音楽上やアンサンブル上でやらなくてはならないことはやる。自分自身、それ以外でどうやら精神面がネックになっていることが多いのかなと。従業員でも拘束されているわけでもないので、義務感とかメンバー的に、とかいうことをかなぐり捨てたいです。それを思ってどうするの?って。

自分を信じること。仲間を信じること。
それが混声合唱団ですもの。

(2016.6.19 発声講座受講)

◆レポートM
しとしとと雨の降る京都。
パナムジカ主催、川井弘子先生の発声講座、合唱人のための「うまく歌える『からだ』のつかいかた」を、MEAより二名受講。
講座は同名の著書を元にしたもの。著書内では、合唱の伝統的な感覚表現を、解剖学の視点から紐解く試みがなされています。
(「あごの力をぬく」・「声を集める、前に飛ばす」・「のどを使わないで」
…などなど)

講座では、受講生5名をモデルにして、声の悩みを聞き、実際に歌ってみながら、その場でご指導。
MEAからも、モデル受講生として1名参加!
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※写真掲載パナムジカ承諾済み

指導を受けた全員に共通していた感想は、「え、こんなんでいいんですか?」でした。 
先生がされたのは、「歌おう」としすぎる意識や、「ここができていないから直そう」とする意識を、薄めること。

指導を受ける前と受けた後では、外から聴いていると明らかに音の響きが違う!
…けれども、歌っている本人としては、普段より力をぬいて歌っている「頑張っていない」状態のため、うまくいっているという自覚がないようです。。。

「『何をするか/何をしなければいけないか』ではなく、『何をしないか/何をするのをやめるか』、を考えよう。」

指示や指摘、或いは自分が感じている問題点を解決しよう!ということに意識が集中しすぎると…逆にそこが原因で力が入り、全体を崩してしまう…。
ひとつのことを、やりすぎていないか?
一方向に真面目に向かう中にも、個々人、自分の身体と照らし合わせて、振り返ることも必要なのかもしれません。

自分の声は、人に聴いてもらうしかわからない。
自分の意識や感覚は、自分にしかわからない。
有意義な気付きを沢山いただけたセミナーでした。気付きを基に、早く歌いたい!

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2016.6.18

夏至目前の女性会館。
視線の先はXmas。12/25に行う第8回演奏会実行委員会が立ち上げ。
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Kodaly
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Kodaly
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Kodaly
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最後に少し鈴木憲夫。

頭の緯度が低いというか、高いところで鳴ってないような気がします。
また、パラグラフごとの大まかな意味も把握できてないので、実感が伴うところまでいってませんね。

合唱祭のHブロックで多くの感想をいただきました。ありがとうございました。郵送で届いた翌日、金曜昼には団展開させていただきました。
賛辞ばかりでまことにうれしい限りです。
しかし、団側に、そのよいものを届けたという意図から来るアチーブメント感がほしいと思います。

柔軟対決MEAkids
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♪新入団、女声1名。一念発起、ありがとうございます

愛知県合唱祭 2016.6.12

名古屋文理大学文化フォーラムにて行われた、「第55回 愛知県合唱祭」に出演してきました。

まず一宮スポーツ文化センターにて当日直前練習。
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名古屋文理大学文化フォーラムに移動し、我々参加の、強豪ひしめくHブロック。
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写真は、ブロック演奏開始前の全体合唱「大地讃頌」の練習の様子。

演奏曲
・Laulusild(Bridge of Song) 作曲:Veljo Tormis
・おもちゃのチャチャチャ 編曲:鷹羽弘晃

ブロック演奏が終わり、全体連絡。
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「(同じブロックの)こういう相手(でもあり仲間でもある)と戦う(というか、歌い合っていく)んだ」と語りかける指揮者。

打ち上げの乾杯で、「去年よりよかった」と振り返りつつ、カタい目に語りかける指揮者補佐。
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僕自身、「さあ、これまでの成果を」とか「さあ、祭の場で会場隅々まで声が届くように歌おう」などの、肩肘張ったというか、気負った感じがほとんど皆無の合唱祭でした。
なんというか、もちろんコンクールや演奏会に向けてプラス、大義というか大望というかに向かって、声を出すひとつの場であったように感じました。

愛知県合唱界という波にもまれる中で、混声合唱団VoxMEAとしてのアイデンティティを・・・、と述べる前に、
団員ひとりひとりをもっともっと見つめていきたい、
祭の後、そう思いました。
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2016.6.11

◆文責M
明日の合唱祭にむけて、本日の練習は中川文化小劇場にて。
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Xmas12/25の第8回演奏会もココでやります。

発声では、身体を下から組み立てて。
腹斜筋→胸腔→声帯→口(軟口蓋と口の形)…
「からだ」が楽器。
どんな楽器を使うにしても、手入れをして準備をして、それからやっと、音楽が奏でられるはず…
そして、音楽を奏でることに集中したいなら…。そこまでの準備は、本当は無意識にできているようになりたい…。
規定型のない「からだ」に向き合う。音楽に正対する、そのスタートラインまですら、果てしない…、と強く感じました。その認識がまず、スタートラインなんだとも言えると思います。前向き前向き。

合唱祭の練習に加え、鈴木憲夫。
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ピアノの迫力と、美しさに圧倒されながら…
音も表現も、ピアノにノセてもらうんじゃなくて、相乗効果を紡げるようになりたい。

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「声を出す前の準備で、既に出る音は決まっている」
ならば、声の積み重ねでできている舞台も同様だろう。
「ステージに乗る前の準備で、既にできる音楽は…」
一音でも、一言でも、音楽に正対できる時間が長くありますように。まだできることはあるはず。
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合唱祭、明日(厳密には今日)です!

民族学でいう「ハレ」の日。
VoxMEAは、二曲豊穣を祈りつつ、カーニバルを闊歩します。その先にコンクールがあり、Xmasの第8回演奏会@中川BSGがあります。聴き逃しは後の祭だゾ。
(合唱祭プログラムより原文まま)

2016.6.4

曇天。
も練習終わり際は雨に濡れた女性会館、今日はホール練習
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発声では、母音の 「A・E・I」 「A・O・U」 の、それぞれ特性を留意しつつ生かしつつ、母音を2度言うというか、母音を進化させるというか、母音を母音で押し込む感じで。
軟口蓋を拡げるイメージ、ではなく実際に、物理的に空間を拡げること。
その発声で、鈴木憲夫。
裏でMEAkidsも継続的な運用
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そして、(もう来週!の)合唱祭2曲
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「ハートは熱く、頭は冷静に」
合唱してるとまま出くわす言葉で、筆者も二十数年前に京都での学生時代、京都会館(現 ロームシアター京都ROHM Theatre Kyoto。ネーミングライツで名称替わったんだ)での京都合唱祭、1回生で合唱初舞台の出番直前に、誰か先輩に言われましたなー。

いまだに言われますし、言われて最もとも思うのですが。
でもこの『「ハートは熱く、頭は冷静に」の次の世界』でやっていきたいです。ハートは熱く、って熱量は言われてどうこうってことではありませんので。
楽譜の中を縦横無尽に歌いたいですね。それには冷静さはマストだし、暗譜が伴う曲がある中、音楽を「身体に入れる」(指揮者談)ってことなんだと思います。

♪新入団、女声1名。よい歌、歌いましょうね

(2016.5.29)

本日5/29は、団員同士の結婚披露宴にて演奏してきました。
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二次会でも歌いました。
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そこには適温の、ささやかな幸福がありました。
おふたり、おめでとう!

2016.5.28

曇天も女性会館。
鷹羽弘晃スタートで、Veljo Tormisへと。
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同じ旋律を
・スタッカートで歌う
・レガートで歌う
・普通に歌う
その際、自分の中でなにか違ったこと、違和感があればそれは、歌う上でなにかを変えてしまってるということ、という指揮者からの指摘。

Kodalyやって、Norwayの曲では場内回遊後、円に。
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北川昇,Ralph Manuel,夢みたものは、と続けていきました。

翌日の団員同士の披露宴演奏を控えての練習でした。

「幸せ」とはなにかを考え、課題曲の歌詞暗記を行い臨みましたが、思ったより集団の中で歌えず、そこは合唱。何十人で歌う中で、何十人で歌うことで個人個人が幸せを感じるために、もっともっと努力をしていきたいです。
一方、では「幸せ」とは何?と言われてるかと、検索し出てくるのは、「〇〇個の習慣」「やめるべき〇〇個の」…
ネットにはない。

「夢みたものは」を歌っているときの団員、一同、幸せそうだったなー。
曲が自分のものになっているときが、やはり幸せなんだ。そう思いました。

♪アジアの島国で新入団、女声1名

2016.5.21

違いは湿度だけ、初夏を思わす陽気、汗ばむ女性会館。
冷房は6月かららしく、扇風機をポチっと
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「夢みたものは」から開始
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途中から遅れてきた指揮者の言った一言で、曲の彩りや明るさが出た(と少なくとも僕は思いました。)
「冒頭の音を根音ではなく、あくまでソの音、第五音として始めよう」

北川昇,Norwayの曲,Ralph Manuelから、
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Veljo Tormis,鈴木憲夫まで。

来週の団員結婚関連もあり、見学者も多くあり、参加人数がここのところコンスタントに多く、そういう中での「出会い」が掛け替えがないことを強く、強く感じます。

出会いは1対1なので包括的に論じられるものではありませんが、練習後の全体連絡時に前でお話させてもらってる時なんかは、僕が知らないだけで、無数の人間関係が張り巡らされてるんだろうなと思います。
「人生の出会いの数は限られている」とか「質と量」って言ってしまうと、またなんとも味気ないですが、ステージは無限だなと。
団員同士が結婚までいくとなると、大きいですね。
ですから、あらゆる見学オファーもご入団も等しく貴いと思います。
どんな風に結実するか分からないから。
とても幸せな結実が現にあり得るから