2018/2/10

冬期五輪開幕。いつの間に…と思ってしまう自分がちと情けない。快活に生きていかなくては。
そう、僕たちには歌があるではないか、と女性会館。

木下牧子「ティオの夜の旅」の2番『海神』

この組曲のめくるめく擬人化の世界に追われ汲々と(きゅうきゅうと ってずっと窮々と って思ってた!)するのではなく、夜間飛行に軽やかに並走していきたい。追い越し追い越されしながら。

この曲で2時間超経過。
一方、子連れ団員がかわりばんこに託児するMEAkids

出会いと別れを繰り返していく。それはいつの世もどこの国でもかわらないんだロッテ。

さて練習の最終盤は、団員同士で結婚するおふたり向けのソングを練習。鉄板の「糸」

僕が鉄板と言うと軽々しくとられるかも分かりませんが、ぐっと気持ちに入ってくる曲。街々まちまちの各家庭の各夫婦が窓の向こうで愛を育んでいる様子が目に浮かびます。
最後に、Beatriz Corona「Barcarola」
2014年度のコンクールで取り上げた曲です。
軽妙さを増して、海を渡り歩きたいです。
海…、「海神」と「Barcarola」での海の描かれ方の違うこと違うこと。捉え方と切り口は違ってよくて、ともに歌であるので、歌いこなしていきたいです。

団全体的には、周りに隣に声を出すことを依存していること を強く感じます。個の力を銘々が閉じてしまっている感じがします。隣に軸や核があれば、無類の強さを発揮する依存群。不自由さの自覚が殻を破るポイントだと思います。

2018/2/3

文責:yy

節分の夜。
鬼は外、福は内、そして私たちは女性会館。

まずははじめまして、Franz Schubert
「Chor der Engel」
音取りから言葉をつけるまで。

休憩時間も、団員同士の(イエイ)結婚お披露目会に向けて、有志メンバーで演奏予定の
Billy Joel「Lullabye」初合わせ。

そのままの流れで練習後半、
同じくその披露目会で団員皆で歌う
中島みゆき「糸」 こちらもはじめまして。

最後にもう一度「Chor der Engel」に取り組み、今回の練習は終わり。

練習中、窓ガラスに映った皆の表情がよく見えます。
周りの人の表情が自分のモチベーションや指針となることが多くあり、
その逆で自分の表情が誰かに影響を与えることもあるのだろうな、と。
そんなことを考えながら歌っていました。
尽きない課題の中、
着実に歩みを進められている
と実感できたときの自然と溢れる表情が好きです。
まだまだ小難しい顔になってしまいがちな音取り段階ですが、早くそんな表情を見たいし見せたいなと思います。

本日は、VOCI BRILLANTI の方おふたりでの情宣がありました。

2018/1/27

厳寒晩冬。オリオン座とシリウスの距離感。
僕たちの見つめる光年のロマンは、今年も僕らを眺めている。

女性会館での練習。女男分かれて音取り

19時半からアンサンブル。木下牧子「ティオの夜の旅」

必死な中、ふと周囲を見渡すとアンサンブルがなされていないことに気付く。四声揃って言う言葉が一緒に言えていません。あぁ途上。
そしてこの組曲に、取り組んだ達成感や完成形などあるのかと思わされます。しかしそれが汗をかかない理由には決してなりません。

テノールは僕ひとりでしたので、

潤山本にヘルプしてもらいました。

2018/1/20

朝も夕方も日が長くなって来ています。それもきっと秋と同じスピードで。
練習場所は、少なくとも3月いっぱいまでは女性会館。
今宵はラトビアの2曲。
始めて着手するのが、Valts Pūce「Augu Nakti」

読書が旅であるように、合唱は世界の古きに触れますので、プラス時空の、タイムトラベルなのだと思います。
どこか歩いていたり。僕は雲の上を。
どこかの聖戦で、群衆や土埃にまみれて叫ばされるか。歌詞まで無理矢理付けた勢い?で、先週の
Jāzeps Vītols「Gaismas Pils」

今はまだ楽譜と至近でにらめっこしているけど、

まず音楽の黄金ルートのど真ん中を堂々と進んでいきたい。

2018/1/13

女男に分かれて、木下牧子「ティオの夜の旅」
多くはない人数で音取り

女声をみていた指揮者が途中から。
肝となる部分を取り上げて、close to ティオ。

19時半ぐらいになったでしょうか。女男合流して、
Jāzeps Vītols

国や時代の背景抜きでは語れないラトビアの曲です。
僕はまだ語れるところまで行っていませんが、スケールだけはいっちょまえに感じています。
和声は連帯。ぶつかりは命の輝き。
そんな単純ではないと思いますが、その思いを改めて強く感じました。

全体連絡前には合唱団うぃろうさんの情宣。

そして、♪新入団 女声1名ありました。へぃらっしゃい

2018/1/6 歌い初め

混声合唱団VoxMEAより、新年のお慶びを申し上げます。本年も何卒ご贔屓賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
本年は4月のアンコンや6月の合唱祭,8月のコンクール等 他行事等を経た後、

★10/6(土)に、豊田市コンサートホールでの第9回演奏会を開催します。
行く/行かない は別としてさしあたり、予定表への書き込みなんぞはいかがでしょうか。

さてそんな2018年初回 歌い初め は、名古屋市中生涯学習センターでの午後練習。

どれぐらい高い音まで行った発声だったか、高い音ほど口形の保持を意識し続けろ とは指揮者補佐。
新年からありがたいヒントをもらって、
木下牧子「ティオの夜の旅」

年が替わったからといって別段肩肘張らない、自然体で音楽に正対しているみんなの姿がありました。新春の陽光に包まれて清々しかったー。
正指揮者が松山出張でしたが、合唱団の、サウンド読解力の向上を感じ取ることができました。

後半はラトビアの Jāzeps Vītols の曲

音取りのみ しかも途中まででしたが、合唱団がこのメロディーは好きだと、その声が言っていました。確かに。

その後はっ、っしゃー、新年会行くで☆

筆者の今年、激動っぽく。
年末年始 TVではよく映画をやっていましたが、ふと「フォレストガンプ/一期一会」のワンシーンを思い出しました。

運命とは決められているものなのか、
それとも、風に吹かれていくだけなのか・・・

映画の最終盤、お墓?に向かって言っていた(不確かな確か)一節があったと思います。

自分で決められないことが出てくるんだなと、
外堀から埋まっていくというか、もうそれしかないってことが人には降ってくることがあって、そこから生き方を見い出していくより他ないときもあるんだ って感じることがありました。
いつもと同じ笑顔があっても、傍から見ても分かんないだけなのか、分かんないようにしているのか、
生き方を変えていっている人や変更を余儀なくされている人がこの世にはいるんだということのようです。
自分の立ち位置が変わり、例えば右から見ていた合唱をたとえ左から見ることになっても、同じものとして同じように、少なくとも向き合っていけるように精進していきたいです。

音楽祭2017 @名古屋市中川文化小劇場 2017/12/23

先日12/23(土) 名古屋市中川文化小劇場にて、『混声合唱団VoxMEA音楽祭2017』を開催いたしました。

二部構成で、第一部では、団内(やその家族!)での、ソロ 歌唱,ソロ演奏,重唱,アンサンブル等、様々な形態での演奏を披露しました。
個々人の力量,複数でチームを組んだときの可能性、どれも目覚ましく、刺激をギブアンドテイクする場となりました。

始まり始まり。

幕開けは、団内団体「Olivetta」の各演奏。
トップバッターズは、女声二重唱

F. Mendelssohn ≪すずらんと花たち≫

男女での二重唱。
F. Mendelssohnの≪民謡≫

ピアノは演奏団員の家族でお届けしました。

Olivettaのピアニストによる、
F. Mendelssohn 無言歌集≪プレスト アジタート Op.53 №3≫

五重唱

W. A. Mozart 歌劇『魔笛』より【Hm hm hm!】

フルート演奏を2曲。
W. A. Mozart フルート協奏曲 K313より カデンツァ
F. Mendelssohn「歌の翼による幻想曲」

おっ と、この方。

そして、Olivettaでの演奏を締めくくるのはチーム全体合唱。
松下耕「信じる」
三善晃「雪の窓辺で」

前指揮者やお休み中の団員を加えて、Olivettaならではの演奏を披露してもらいました。

続いてはピアノソロ

G. Lange「花の歌」

第一部前半の最後はソロ歌唱

V. Bellini 歌劇『清教徒』より「あなたの優しい声が」

各演奏者のポテンシャルとそれを発表する機会に嬉々としながら、

第一部後半のスタートを彩るのは、団内ママたち、その名も、
MEAMAMA による、
V.Vavilov「カッチーニのアヴェ・マリア」
相澤直人「ぜんぶ」

子連れ・子持ち団員の参加が増えてきたこの合唱団を象徴するこのチーム。あたたかい歌声でした。
(この中にひとーり!本物のベイベーを抱いて歌っている者あり)

ソロ歌唱。3曲

G. Frescobaldi「Se l’aura spira」
A. Vivaldi「Vieni, vieni o mio diletto
A. Stradella「Se nel ben」

ソロ歌唱。
C. Franck「天使の糧」と、

ヴァイオリンとも共演しての、J.S.Bach「憐みたまえ、わが神よ/マタイ受難曲より」

アンサンブル☆Regina
信長貴富「なみだうた」と、

編曲された「異邦人」が色香たっっぷりでした。

V♂xMEA(読み:ヴォーおすクス・メーア)

間宮芳生「田植唄」(秋田県民謡)

春のアンコンチームを母体に再編成した、チームtutti

千原英喜「わが抒情詩」より

第一部オーラスはピアノソロ。
F. F. Chopin「Scherzo no.2 b-moll」

写真撮り損ねた。ゴメンx

続いては、ゲスツをお迎えしての第二部へ突入。祭も佳境へ。

Ensemble Spicyの男声とお伊勢コラリアーズという、中部地方合唱マニア垂涎のコラボレート。
多田武彦「柳河」
信長貴富「さらに 高い みち」

筆者は混声合唱を選んだわけですが、この伊勢スパさんのように、良い男声合唱を聴かなあきませんね。
根底にある理念というか、男臭さとない混ぜの甘い香りに酔いしれました。

続いては、合唱団 花集庵。
E. Whitacre「Alleluia」
千原英喜「寂聴の祈り」


筆者はゲネ中に以下の

ツイートをしましたが、本番も聴いていて、ほんといつも心に染みる演奏をするなあと思いました。
後に本番演奏録音も聴きましたが、懸念事項がないんですよね。発声とか言葉とか。モヤモヤがない。
だから曲の持つ良さや強さ,伝えたいことが、懸念事項フィルタを通さず直接聴くことができるので、とても感動する。
言い換えれば、という部分なのですが。続いては、

混声合唱団VoxMEA

写真はありませんが、
柴田南雄「水上」「風」
P. La Rue「Laudate Dominum,omnes gentes」
A. Bruckner「Os justi」
E. Aguiar「SALMO150」
うまくまとめられた合唱だったと思います。

祭は合同演奏で大団円。
武満徹「小さな空」と、

信長貴富「リフレイン」。このリフレインの歌詞いいですね。改めて思いました。関わる人が増えると想いを馳せてしまう。

内輪のイベントから、指揮者の取り組みから広がりを出てきたVoxMEAの音楽祭。
内省的な自己と対外的な自己を、己の内で高め合っていきたいと思います。
己の振り返りとしては、音楽祭がよかった、ではなく、自分の合唱団がよかったかどうか、自分の合唱団を如何ともするのは誰でもない、己なのだという意識をもっともっと強く持たなければいけない。祭の余韻に包まれながらそう思ったのであります。

関わっていただいた方々、至らない点があったかと思いますが、まことにありがとうございました。

夢みたものは

祭の後の祭(=打ち上げ)で歌いました

2017/12/16

VoxMEA音楽祭2017

を1週間後に控え、

団で披露する5曲や合同演奏曲を練習しました。

指揮者は、自分と一対一で内省的に取り組むべき曲と、歌い手に委ねてしまう言わば直情的な曲があると論じました。
曲ごとに力を出せるようにそれを意識しつつ、これまた指揮者の、今鳴っている音を手放したくないんだ、という強い希求が合唱団に勇気を与えたような気がします。

要求事項というかチェックポイントはより細分化されかつ、そのハードル自体は上がった上でそのアウトプットにおいては、よりコンパクトなものでなくてはならなくなってきていると思います。

その近代化の荒波というか荒野の中で今年も出会いがあり、その一方実際は、一旦の別れもありました。

自分が苦戦苦闘した曲を今ではうまく歌えるようになっているか。VoxMEAの挑戦は続きます。その上でとりあえずは来週の祭へ☆

2017/12/9

「溶けた建築」である合唱を皆さんでつくっていきましょう!
と語りかける指揮者。

歌でなにか建立、、と言えばピラミッドの建造が思い浮かびます。その意義や公共事業的な側面の話はさておき、石を来る日も来る日も運び続けていた労働者は何を思っていたのでしょうか。
エジプトの、いや世界の歴史をつくっているんだと意気揚々と勇んで運んでいたのか、もしくは
しんど、だるっと思っていたのか。
両方を俯瞰的に戦略的にみていないと成し遂げられなかったと思います。
溶けた建築もしかりでしょう。

全体的には12/23の音楽祭に向かっています。

➕ティオの音取り。

音楽祭では小アンサンブルがあったり、

男声合唱があったり、

交代で託児しながら歌っている団員がいたりします。

そこには団員の歴史に加担している混声合唱団があります。

2017/12/2

Pierre de La Rue「Laudate Dominum,Omnes gentes」
歌う際は、

身体を意識する言葉が必要となります。
ニューワード:腹壁。ニューシナプス。

A. Bruckner「Os iusti」

休符でCrescendoせよとの指示。続いている音楽の最中に自パートに割り当てられたインターバル。
ブレスを換えて色換えて。

休憩挟んで、柴田南雄。

歌詞をP子音にしてピポパポピポパポ歌えって言うんですよ、指揮者。柴田南雄を。しかも、「ガッチャン(*1)かーい」ってツッコミがヤング世代に伝わらないっていう。
(*1)Dr.スランプという鳥山明のマンガ。30年いや35年ぐらい前に週間少年ジャンプに掲載されていた。単行本全16巻。村か島か1周レースとか懐かしい。

子連れ団員が代わる代わる託児。MEAkids。

託児室~練習室間をFaceTimeで話す夫婦。

本日は2団体の情宣。
まずは、名古屋大学グリーンハーモニーさん。

歌えリクエストにあっさりお応えし、歌声を披露してくれたMEAとの兼団員。
続いては、ペンライト,サイリウム持込可で、メールで先行予約すると、たしかサイリウムがもらえる演奏会を開催されるという、名古屋サブカルチャー合唱団 Coro Animonyさん。

さて、
先週の練習では、筆者個人的なことですが、
音取りがさっぱりな上、小アンサンブル練習、男声曲練習、さらにMEA本練での既存曲においても、自分本位な歌しか歌えず、率直にアンサンブルを「壊していた」という思いでいっぱいでした。
そんな折り、今月23日(土)の音楽祭

において、とある団員がバイオリンとピアノとの共演でソロ歌唱するのですが、その練習録音を聴く機会があり、考えを巡らすよいきっかけとなりました。

聴いてケンカしている訳ではないけど、ひとつのものをなし遂げるための協調性に欠けているような気がしました。

相関図においては様々な人間関係があるにせよ、in the name of Song , 歌という名のもとでは、力を合わせなければ上手くは演奏できないでしょう。
信頼関係、と言い換えてもいいかもしれません。
自分が言いたいことを話す前に相手の言い分をまず聞けるのが、話上手は聞き上手。
なら、
歌い上手は聴き上手、でしょう。

それがすべてではありませんが、姿勢のひとつだと思います。

どこによすがを求めるか。それは決して拘束されない。
しかし、同ぜずとも、「和」さなければならない。