この度の熊本地方の地震により被害に遭われた皆様、ならびにそのご家族、関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
皆様の安全と復旧を心より、お祈り申し上げます。
VoxMEAは女性会館で練習
腰の後方タンクにブレスが入っていくのを確認する作業中
最高気温22℃の女性会館。
J.Busto
ブレスの通りを確認。息づいていないときは「ブルブルくちびる」や「巻き舌トゥルルル」でブレスを活性化。
Tormis。
パートバラバラになって歌おう、ってなったんですが、他パート間に身を置かれると意識が高まるというか
Kodalyでシメ。「喋り」ですね
粘りを見せて咲き続けている桜があります。
1本の桜の木が有する全つぼみがもれなくすべて咲いてる時間ってあるのだろうかと、ふと。
つぼみ同士の声かけとか根回しとかおそらくなく、ユニゾンができている、沈黙のユニゾン、だから人は想いを重ねるのか。
翻って、つぼみや花びらを合唱団員に例え…るのは皆様にしていただけると思います。
桜で注目したのが、咲き具合の表現でして。
「散り始め」「落下盛ん」…
なにを見てそう言うのか、木全体の満開の残像が基準にあるのだと思います。切り替えれば、まだ
粘っている花弁がいるじゃないか。
咲き誇っている個別の花弁があるにも関わらず、木全体の状況、隣の桜、ひいては桜だより。
結局、、例えるのですが、
団員全員で歌いたい。
個々のがんばりが必要なのに、集団で評価されてしまうというこのアイロニー。
ひとりひとりは違う人間だけど、団でいいと思った曲を、ひとつの塊となって声を出したい。
また、なにかをこれしかないと認めることの怖さです。他のなにかの否定につながりはしないかと。
人のことは見えるんですが、自分がリアルタイムでこれをやるのはたいへん難しい。
でもそれができないと、団がひとつの塊にならない
新入団、4名。(女声1名、男声3名)
ありがたいですね。男声は全員テノール。テノールは約 倍増。両隣にメンバーがいるというのは安心感が違いますね。
桜満開(の折)、女性会館。
5週連続新曲譜読み大会の第1週。
Michael McGlynn
楽譜にかぶりつきもなんとか食らいつく
食らいつく
後半は鈴木憲夫
難しい曲だろうが、ソロだろうが、大所帯になろうが。発声もフレーズの踏み方も同じ自分。
それはいかなる状況でもかわらない。
自分が歌っていくんだという気持ち。
仲間と歌っていくんだという気持ち。
ここで歌っていくんだという気持ち
約 倍増のテノール
MEAkids
学生や20代の新入団がありつつ、子連れ団員にも対応。
あなたの合唱ライフをfeat.
混声合唱団VoxMEAです。
陽の光同様、にほひも春の女性会館。
午後夜間の強化練習。
Kodalyの発音口座のち、歌う図。
Arvo Part「Solfeggio」
この曲はシビレました。冒頭からドレミファソラシドと、しかもそれが歌詞で4声が積み重ねて歌っていくんですが、魅せられました。全パートで歌ってみたい。
「純正律」と「平均律」のお勉強。
音律学とは神へ近付くための学問である。
午後練習は、あえて団員の歌いたいエナジーをいい意味で挑発するかのように講義が続いた。
夜練習は、Bustoでスタート
口の形を、めくるめく母音の形にさせてKodaly
鈴木憲夫でシメ。
本日は見学者が3名。
一歩を踏み出したい。ちょっぴりこわくても力強く
女性会館
Kodaly
「正しい発声は正しい母音から」
改めて言われてうれしかったです。
でも曲によって強くそう思うことがあれば、曲によっては「言葉」だったり「子音」だったりするのはなぜなんでしょうか。
おいおい考えるとして、このKodalyは旋律と母音の調和が見事というか、興味深さが底なしです。ひとつ何かを知るとパッと世界が開くというか。
今日は次年度スタッフが決まりました。
団が一丸となるために、スタッフがまず核となっていけるよう努力してまいる所存です。
日曜日はアンコン練習。チーム譜和雷同。
やるべきことの基礎が固まってきたというか、「前回はできてたのに今回はできなくて、また最初からやり直し」というのがなくなってきました。
そして、
♪新入団、女声1名
冷たい雨のなか女性会館。
先週に続きNorwayの新曲。
自分という楽器を長ーくする感じで。
冒頭の音の入りについていつも言われますが、自分のもっとも美しいブレスを心がけて。
白夜とオーロラが同居するぐらいの神秘性を。
いっしょは無理でしょ、と団員からツッコミ。
心地よい音のぶつかり。あぁ、ヒーリング。
コンクール課題曲
ビチーっと鳴らすためのストレートボイス。
ゴツゴツしたぶつかりを一音一音確認。
日本語組曲
スケール感に圧倒されないように、言葉,世界観を自分が喋ってやりたい。
当週は新年度に向けて考えてました。
春、4月はみなさまにとってなにかありそうでしょうか。
なにか巻き起こせそうでしょうか。
次回は合宿です
途中から雨の降り始めた女性会館。
新曲に取り組む。
ソルミゼーションで歌ったり、団を2分割して歌い聴き合ったり、響きをまとめやすい母音で歌ったり、ハミングで歌ったり、マーチングして歌ったり。
どのメソッドが各団員にヒットやフィットしてもいいように手を替え品を替えていく指揮者
壁にぶつかったり苦しかったり思い悩むときもあれば、吹っ切ることのできるときもありますが、もしいまなにかを吹っ切った場合、1段階前の吹っ切りよりもグレードアップしていると思います。同じことで悩みたくないから。改善が入ります、自分が自分に。
悩み→吹っ切る→また悩み→吹っ切る。その年輪というか、人生のミルフィーユの幾重にわたる積み重なり方がその人の深みを表しているのかもしれません。
後で紹介しますが、キックオフした2016アンコン。筆者は3年ぶりに参加しようかというところですが、よいきっかけになりそうです。
さて今日、何か団で作り上げたものがあったか。
その曲を歌っている自分が輝かなければ、曲も輝かない。新譜after新譜でたいへんで、、ねえ・・・は、歌い手側の言い分。
合唱団はリリースし続けなければならない。
曲のあり方,されるべき演奏をするための、ひとりひとりの熱量が少なすぎる。そう感じました。歌うのは自分だから。
自分という母体がしっかりしてないとアウトプットされるものも比例して小さいというか。
4/17(日)に行われる「愛知県ヴォーカル・アンサンブルコンテスト」
我が混声合唱団VoxMEAからは1チーム出場します。選曲は戦略、な・の・で秘密。
曲が決まり、行けそうな手応えをつかんだ、チーム「譜和雷同」(読み:ふわらいどう)。
この場をお借りしてひとつだけ言わせてください。筆者発案のチーム名です。
話がそれましてすみません。由来はおいおい。
次回演奏会、決定いたしました。
今年12/25(日) 中川文化小劇場 です。
ある団員の言葉で、いま自分のいる集団、それはコミュニティであれ、偶然居合わせた電車の中であれ、それを
「自分 対 周り」とみるか「自分も含めた集合体」とみるか
という示唆です。
この気の持ちようはたいへん大きく、とかく独りよがりになりがちなところを「自分も含めた集合体」ととらえることであらゆることの自分の見方を換えられることができます。
批判の前に自分も携わっているではないか、と。その前後に自分の行動言動でなにかできることはなかったか、と。
そういう立ち位置でいられて初めて、自分が誠にその集団をどうしたいと思っているかという段階に行くことができます。
使いやすい言葉で、物事の周囲をつかず離れずで凌いでいくことは簡単で、ともすれば多くのことに自分を費やしていることが見えてきます。
「合唱が好き」「VoxMEA(読み:ヴォークス・メーア)が好き」と言います。パッとそう言えることも大事ですが、もう少し濃度を増したいなと思います。まだまだ足りませんね。
♪新入団、女声1名