筆者が最近読んだ、「鴻上尚史の具体的で実行可能!な ほがらか人生相談」に、簡単に言うと、
❜❜「内面」より「行動」を問題にした方がいい。❜❜
と書かれている。
目に見えない「内面」を問題にしていては、まとまるものもまとまらない。「行動」が問題なんだと。
強い気持ちを持って、VoxMEAでやっている。団のみんなも同じ方向を向いてやっている、と思っている。
「内面」があっての「行動」、
確かにそう思ってるし、それは読んだ後でもそうだと思ってる。
しかも団がまとまっていない訳でも別にない。
「スタンス」、というとまた違う話になっちゃうのかもしれないが、県大会で及ばなかったところ。そこへの思いの強弱や濃淡ではなく、もちろん合意は図っていかなければならないが、
団員それぞれの、思いの強さだけを物差しにするのもいかがなものか、と指摘されているように感じた。
本にはこうも書いてある。
❜❜目に見えない「内面」を問題にすると、『声が大きい方』や『決意を振り回す方』が勝ってしまう。❜❜
取り組む姿勢や、発声,歌唱の有り様の変化を捉えて行くことは難しいが、筆者がグチグチ漏らし続けている、「県大会で負けた」
に対して、
「で?」
ということである。
「内面」を強調するあまり、団の歩みに、もし自分が歯止めをかけてしまっているとしたらそれは要らない。
思いを新たに、と言ってしまうと「内面」から変わってないやーんってなるが、「内面」と「行動」を区別し、また自分も区別され、取り組んでいきたいと思いつつ、
街がどまつりに吸い寄せられてるのをハッキリと感じざるを得ながら、東別院、イーブル名古屋。
練習前の演奏会実行委員会を終えて17:20。練習前。やってるやってるー。ベースのパーリー。
千原英喜『ある真夜中に』より、
♪「この星に生まれて」
筆者が日々疲れているからなのか、一音ずつ積み上げていく作業というものが改めてとても尊く、「あー、今のいいなー」とよぎった時、すでにそのオッケーテイクは終わっていますね。無形。一瞬。
その次のテイクでは意識し過ぎてグダグダっていう合唱アルアル。
オッケーテイクは二度と戻って来ない。
だから、上手くならなければならない。
精度を高めなければならない。
再現性を高めなければならない。
♪Rheinberger「Salve Regina」
Poulencとのギャップに、あぁなんともmisericordiae。
宗教曲の持つみずみずしさというか、羽ばたきというかを凝縮させたような曲。
上手く歌いたいと思わせる曲。
麗しく歌っている女声に見とれてしまう曲。
アルシステイシスで身をよじってしまう曲。
Mickey Mouse March,Circle of Lifeのポイントを押さえて、
今月誕生日団員を
歌でセレブレイート。
次回もイーブル名古屋、大研修室でーす。