イーブル名古屋。
藤森先生練習。
発声。
高音は頭上の後方で圧縮するイメージを持って。
イメージする際の両の腕をアップしての持っていき方からして、筆者はこれを勝手に
「バサロ唱法」と名付けまして。
先週勝手にお伝えした、
「サンライズ唱法」と二法流でチャレンジしていきたいと思っています。
筆者の怪し気な唱法は置いといて、
先々週の先生練習でご指南受けた、日本語、日本語、平坦な日本語、平坦な、、
を頭の中で呪詛笑、を呟くようにして意気込んで来た今宵の藤森先生練習。
千原英喜の組曲「ある真夜中に」。熟成へと。
寂庵のFdurでは、第三音が第五音の輝きを持つように(間違って解釈してたらごめんなさい)、との音色指示。ホント藤森先生の曲の箇所箇所による歌い分けに関する指導には、ありがたいことに、
「我々は曲のアナライズができている!」と勘違いさせていただいている。
平坦な日本語をどんだけ~繰り出してやろうかとリキんでいましたが、藤森先生、今回は一度もそのパワーワードを発することはありませんでした。むしろ今回は、しっかり日本語を喋りましょう。という練習で、先生のメソッドの奥深さに感じ入ってしまいました。
今回、最も腑に落ちたのが、
「ブレスが落ちるディミヌエンド(dim.)をしない」、つまり、
そこで、曲全体を団がインクルードする緊張感が抜けてしまう、ってことなんです。現実が見えちゃうっていうか。
新しく揺さぶられる音楽を探し求めYouTubeを聴いたりするのですが、「上手い/そうでもない」って何が違うんだろう、ってとこに行き着くんですよね。
アラがない。もちろんです。そのアラ全てに根源的に関わっているのがブレスだと思うんですね。
呼吸法とか難しい話ではなくて、合唱団が、
世界を、モードを創り出しているか、
演者として作品にのめり込んでいるか、
見極められちゃうんだと思うんです。
って思いながら、歌いながら団を眺める。個別に都度指摘する話でもなく。何回か前に述べた、
何事も1分の1。
やるべきこと(分母)を全て
出し切っていく(分子)
団の取り組みが必要となります。
自分だけの問題じゃありません。
団の決意の問題です。
ここからは、アンコンチーム三五、帰っちゃった人には申し訳ないが、
最後の最後に4名で1曲通しました。
来週もイーブル名古屋でよろしく。