砂時計 (五つの童画) の詩の解釈

砂時計 … 落ちた時は銀色の魚(うお)になって

夜の海に泳ぐ


合唱祭でも歌う砂時計の詩の解釈です。調べてみましたが、なかなか載っているサイトがないです。曲の解釈なんてとても出来ないので、詩の意味だけでも自分なりに考えてみました。詩の解釈なんて、読んだ人次第なので、基本的に自由だと思います。ただ、書いた自分自身、情け無いことに相変わらず自信がありません(笑)。おかしいところがあれば優しくツッコミを入れてくれると助かります。
タイトルについて
この作品って、誰に向けて書かれた詩なのかが漠然としていますよね。一般的な事実を、俯瞰的に読み取っているように見えます。ただ、自分は作詩者の主観がかなり入っていると思うんです。
作詩者である高田敏子さんは1914年に生まれて1989年に亡くなられました。『五つの童画』は1968年の作品です。三善晃さんがこの曲を作曲するにあたり、高田さんに作詩を依頼したとのことなので、作詩から作曲まで間があったとしても、当時高田さんは50歳代のはずです。50歳といえば今の世の中、これからセカンドライフって人も多いと思いますが、働き盛りの20~40歳代から比べると、これまでの人生を思い返すことも多くなるのではないでしょうか。
この詩では悲しかった事も楽しかった事も、すべて今の自分にとっては過去の事で、もうあの頃にした事をやり直すことはできない、どうしようもない寂しさが表現されていると思うんです。タイトルが「砂時計」の割に、砂時計っていう単語は一度も使われていませんよね。ここには、人生は時が流れ落ちる砂時計のようなものなんだという人生訓と、ひっくり返して時間を巻き戻したいという作詩者の想いが暗喩となってタイトルになっているんじゃないかと自分は感じました。
銀色
この曲で銀色という色は一つのテーマになっています。
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銀色のイメージ | 色カラー
銀色の心理効果
高級、知性、洗練、冷たさ、金属、協調性、機械、未来、
殺菌、才能、雪原、貴重、品質、輝き、シンプル、人工的
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この中で最もストレートに感じるのは『輝き』だと思います。鏡のように、見る角度によって色が変わるとも受け取ることができます。ただ、上に書いたように、今の自分にはどうすることもできない過去の出来事に色を付けているとしたら、無機質で冷たい印象を受けます。そういった意味では“夜”も冷たいイメージですよね。

“うお”です。“さかな”って読むとスーパーで並んでいるような魚を思い浮かべるんですが、“うお”って読むと、まさに生き生きと泳いでいる魚を想像します。上に書いた“銀色”と併せると“銀色の魚”となり、躍動的だけど無機質という、よくできた作り物の魚の姿がイメージできると思います。そのうろこの一枚一枚は記憶で構成されていて、悲しい出来事(水泡)を乗り越えて(喰んで)いる…。その魚は過去の自分で、それを冷静に見つめている今の自分がいる。つまり“銀色の魚”って、今の自分が過去の自分を投影した姿なんじゃないかと解釈してみました。
…と、詩の内容を読みといていたらいつの間にかこの曲が大好きになってしまいました。もともとはあまり好きじゃなかったのに(爆)。
魚と人生って繋がりでビッグ・フィッシュという映画があるんですが、その内容を思い出しました。ティム・バートンの変な世界観についていけるかたには猛烈にオススメします。感動で泣けます。
とりあえず予告編を置いておきますね(´・ω・`)

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