はじめに。
前回の練習は、いかに自分が「実践では、発声で取り組んだことは生かせないと決め込み、甘えがあった」のかを痛感させられたものでした。
個人的に、発声では指揮者の指導や、自意識,自覚を感じられることが少しづつ出てきました。
女声は特にできたときが明瞭に分かります。
戻りますが譜読み段階では特に、音符を追うあまりに発声ができていないという本末転倒甚だしい状態になっています。正確に言うと前回は、自分がそのような状態になっていることを「初めて」認識できた日でもありました。
大学から合唱を始め、一般のとある合唱団の代表までやらせてもらっていて恥ずかしい。恥ずかしくて恥ずかしくてそのあまりに先週のブログではまともに言及できませんでした。次回(つまり今回の強化練)でその命題に自分の中で継続して取り組めるのかはたまた、過ぎて行ってしまうのか。「思い出し→実践→会得」のループに乗れるか、「思い出し→実践→忘却→思い出し→・・・」のスパイラルに甘んじるか。
毎週合唱やってて楽しい楽しいで終わるのではなく、うまくなっていく自分がここでお知らせする「毎週合唱やっていて楽しい」であった方が遥かに自他ともにおもしろいだろうなと。
前置きが長くなりましたが臨んだ今回、日々ニュース冒頭の「台風○○号の接近に伴い・・・」の件に半ば怯えつつも女性会館、ホールでの午後-夜間の強化練習。
午後、演奏会3st練習。発声からのネウマ譜。
合唱然とした「かっこつけ」をとっぱらえられるか。
やれないと思ったらやれない。自分の中の、新しく頼るところをつくる、そう、新「自分探し」
しかし、テキストにある「歓び」を団が表現できない。。優雅然に落ち着いてしまっている、とは本日午後練のアンサンブルリーダー談。
ならいっそのこと、「歓び組」「悲しみ組」「優雅組」と3チームに分かれて、それぞれのテーマに特化し則して歌ってみようということになりまして、
「歓び組」
「優雅組」
「悲しみ組」
少し時間とってから披露し合いました。ブレスやテンポが換わってくるんですね。集団でコンセンサスを得て取り組めばできる、という自信を団で持って、Will todd 「Silent Night」 へ。
休憩挟み、夜間へ、
某大学合唱団から大挙7名の見学がありました。(+10代女子1名)
一方、演奏会1stの練習だったのですが、曲たちに初接触の団員もいる中での練習となりました。
コンクール課題曲の Kodaly 「Szep konyorges」 以外の5曲、
G.Pedersen 「Valsoyfjordの子守唄」
Grieg 「Ave Marris Stella」
Kreek 「Taaveti laul Nr.104」 「Onnis on inimere」
Tormis 「Laulusild」
演奏会まで3ヶ月ちょっと。1stはあまり時間がとれませんが、これまで指揮者の元で気付き、磨いてきたものを出せれば、いや出せそうだと好感触を持ちました。
(※個人の感想
いつも通り歌っていては、高音部で腹の下支えから逸脱してしまう箇所が散見されました。
そこを自分で伸ばしていかなければ、よい表現はできないと確認がとれました)
ええと、
うまく言葉にできる自信がないのですが、
生きているとespeciallyだったりanniversaryだったり離日だったり帰国だったりと人生の句読点があり、そこではお互いに賛辞の声を掛け合ったり鼓舞し合ったりするのですが、僕たちには日常があり、いつもそばにいてくれる人に対しての言葉がけや態度がおろそかになっていることにあきれることがあります。
安定も安全パイもない。慈しみを怠らないような人生を送りたい。合唱団でありたい。と思います。