おあよ2日目。朝ごはん
発声から、指揮者が卓上のなにかを見ながら口伝にて、スキャットでいろんなフレーズをなんだか歌わすと思ったら、、
ラトビア語の新譜でした。
楽譜を見ずに音取りするなんて、前代未聞。言葉が気になるとかそういうことではなく、大きなところから音楽にアプローチするなあと思いました。
僕たちはもっともっと知っていかなきゃいけない。
団員の入れ込みが幾重にも重なり、演奏会ってのはある。
パートに分かれてティオの音取りやって、
昼休憩。
午後は、
そう、柴田南雄。まずは、きれいな曲でしたねと思わせること、そして、
きれいな曲でしたねで終わらせないこと。
クラシカルなメロディーの中に、時間に磨かれた珠玉の財宝がすし詰めされている感じ。活かすもコロすも歌い手のこだわり次第。
最後に、
Ernani Aguiar(Brazilの曲)「SALMO150」と
Pierre de La Rue「Laudate Dominum,Omnes gentes」
指揮者のアンサンブルを受けてて、自主性・自発性・・・
自主性・自発性・・・ こればかり考えていました。
この合唱団に欠けているとは思うけど、さて指摘の仕方、、いや指摘はいい、促し方。結果として、それが向上している形。
考察は必要だけど、その言葉を用いないこと。そのためにはもっとその言葉の理解を深めること。
自主性・自発性という言葉に深く深く入り込んでこそ、その言葉を用いずに語ることができ、体現できるでしょう。
任せて、待つこと。
そのあたりのことを考えることができる合宿となりました。
次なるは音楽祭。そして、来年へ。